今年の1月、ラスベガスで開催されたCES2019。自動車システムサプライヤー、デンソーのブースにユニークな展示があった。小型EVに来場者が乗り込み、VRを通じてデンソーが提案する「未来の移動」を体験できるコックピットコンセプトだ。
どのような開発背景があったのか。そして、デンソーが提案する「未来の移動」とはどのようなものなのか。このほど、開発に関わった2人のキーマン、株式会社デンソー コックピットシステム開発部 第1開発室 担当係長/デザイナーの山下晋吾氏(写真右)と、VRコンテンツの開発を手がけた株式会社ワントゥーテン ビジネスソリューション&ディベロップメント本部 プランニング&ディレクション部 部長 クリエイティブディレクターの松重宏和氏(写真左)に話をうかがった(聞き手:IoTNEWS代表 小泉耕二)。
自動運転でも、移動は楽しくあるべき
この動画は、CES2019で披露されたVRコンテンツのダイジェストムービーだ。実際にVR画面では全方位の景色を自在に見ることができ、没入感も加わる。筆者も体験したが、ヘッドセットを装着して静止しているにも関わらず、クルマが絶えず走っているように感じた。道路を右折するときには遠心力でひっぱられるような感覚をおぼえたほどだ。映像でつど現れる窓の景色の意味については、以下のインタビューをご覧いただきたい。
IoTNEWS 小泉耕二(以下、小泉): CES出展の背景について教えてください。
デンソー 山下晋吾氏(以下、山下): 今回、私たちが提案したのは未来の「コックピット」です。コックピットといっても、技術を詰め込んだハードウェアそのものということではなく、そこで出来る「体験」を提案しました。
もちろん、その体験を実現する段階では、弊社が持つ様々な技術を使うことになります。ただ、技術を前提に将来のクルマを考えるのではなく、あくまでドライバーのみなさんが将来乗りたいと思うようなクルマを提案したいという思いがありました。
自動運転の議論では、クルマの中でテレビ会議をしよう、メールを見よう、動画を見ようというように、移動によって仕方なく発生している無駄な時間をどのように効率的に使えるかというアプローチが多いです。
私は、そのことにずっと違和感を持っていました。クルマって本来楽しいものだったはずだよなと。
山下: 私はクルマを運転して出かけるのがすごく好きなんです。小さい頃はよく父親にスキーに連れていってもらい、窓の外を眺めるのが大好きでした。学生時代は、目的地を決めずに友人たちとぶらぶらドライブするのが好きでした。
こういうクルマの楽しさが自動運転によってなくなるのだとすると、それは移動のための道具としてのクルマの未来でしかありません。ですから、クルマはそもそも楽しいものだということを、今一度世の中に対して「問い」として投げかけたかったんです。
小泉: なるほど。ドライブって散歩に近いような楽しさがありますよね。細い道に入りこんでしまっても、それはそれでちょっと面白かったり。予期せぬ場所に出てしまったとしても、それはそれで思い出になります。
山下: そうですよね。ふと、窓の外を見るとトンネルとトンネルの間に民家があって、洗濯物が干してあったりする。ここで生活している人ってどんな人たちなんだろうとか。「移動」だからこそできる場所の楽しみ方があります。
小泉: すごくわかります。
山下: でも、自動運転が目的地を設定しないと走り出さないものだとすると、想定する体験をなぞるだけの自動化になってしまう。それって面白いのかなという疑問があります。「移動」だからできる場所の楽しみ方をもっと豊かにして、自動運転をわくわくするものにしたいと私は考えています。
山下: もちろん、今の時点では妄想にすぎません。なぜなら、まだキーとなるテクノロジーが未来のものだからです。でも、技術よりも先にそうしたビジョンを言い始めないと、結局は技術の延長でしか語れない未来になってしまうのではないかと考えました。
では、この妄想をどうしたら多くの人と共感できるだろう。そう考えた時に、出てきたアイディアがVRでした。まだ実現できないアンリアルな体験を、リアルとして感じてもらいたい。その上で我々の描く未来に共感して頂けるかどうかの議論をしたい。そんな思いだけがあり、具体的にどう進めていけばよいのかもわかりませんでした。
デンソーは技術開発に長けた会社ですが、そうした不確かなアイディアをカタチにして伝えることは、得意ではありません。だったら、得意な会社さんとパートナーシップをがっつり組んでやろうと考え、ワントゥーテンさんにご相談したのが、このプロジェクトが大きく加速したきっかけです。
未来の技術がちりばめられた体験型VRコンテンツ
ワントゥーテン 松重宏和氏(以下、松重): 初めに山下さんからコンセプトをもらい、それをVRを通じてどうわかりやすく伝えるか、どうしたらそれぞれのヒトがもつ思い思いの「移動」を体験できるかを一緒に考えていきました。
小泉: VRコンテンツをつくるというだけではなく、デンソーさんが描く未来の移動とはどういうものなのか、一緒に考えていったというイメージでしょうか。
松重: そうです。実際には、さきほど山下さんが言っていたように、ただ移動するのではなく、移動によって可能になる未知の感覚や経験を引き出すための工夫を一緒に考え、VRコンテンツに反映させていきました。
たとえば、同じA地点に行くにしても、B地点を経由するよりC地点を経由する方が、自分が求めているものがあるかもしれない。そうした寄り道のリコメンドが、クルマとヒトが自然に対話しながらできる世界が提案されています。
山下: 初めにクルマが走り出すシーンでは、何気ない会話で目的地を決めています。実は、これは技術的にかなり難しいことをしているんです。
なぜなら、誰も場所に言及していないからです。みんな、「いい景色が見たい」、「おいしいご飯が食べたい」というように、場所ではなく「やりたいこと」を口にしているだけです。それでも、ルートが決まっていく。そうした未来のドライブのあり方のようなものを提案しています。
小泉: 他には、どのようなしかけがあったのでしょうか?
山下: 「ウィンドシールドディスプレイ」という技術を使い、外の情報と連動して、窓に様々な景色を投影するというアイデアです。
たとえば、昼に何気なく見た空の景色でも、実は夜に見ると美しい星空が広がっているかもしれません。それであれば、「もう一度夜にここにきてみよう」と思えます。窓の表示系の技術をうまく使えば、そうした新しい体験を提供できると考えています。
松重: 過去に家族が通った時の「思い出」を窓に映し出すということも提案しています。過去、現在、未来をまたがって、様々な景色を窓に投影することで、ヒトの感情を引き出し、好奇心をかきたてるという狙いがあります。
小泉: なるほど。
山下: ほかにも「ドライバーステータスモニター」という、ドライバーの状態を検知する技術も重要です。「人を見る」という技術の延長には、「クルマの中には何人の乗員がいて、そのうち子供が何人で、今日はおばあちゃんもいるようだ」という車内の情報をクルマが認識し、体験をアレンジしてくれる未来を想像しました。
そうした技術の先にある新しい出来事を想像し、このVRコンテンツをつくっています。
松重: また、そうした未来の移動を体感できるよう、CES2019で出展したコックピットには様々な工夫をこらしています。車内のシートは振動しますし、菜の花畑を通るシーンでは、菜の花の香りが発生するしかけもあります。味覚以外の五感(視覚・聴覚・嗅覚・触覚)をすべて網羅し、没入できるようにつくりこんでいます。
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「共創」も新たなチャレンジの一つ
小泉: 松重さんは、今回のプロジェクトでは主にどういうところが大変でしたか?
松重: 一つは、VRとクルマの制御システムの間の調整です。VR映像の中で動く幅と体で感じる重力が違うなど、システム間でこまかく調整しなければならないことがたくさんありました。そのため、私も愛知県にあるデンソーさんの本社に何度も伺いました。まさに、共同作業です。
VRコンテンツの開発においても、今回はかなり高度な技術に挑戦しています。今回のVRは4層構造になっています。いちばん外側は、外のドライブ風景を実際に撮影した映像です。その一つ内側にクルマの3Dモデルを入れ、次のフロントガラスの部分にUIやARの映像データを貼りつけています。そして、いちばん内側にはこれも実際に撮影したヒトの360°映像データを入れています。
そもそも空間の作り方が違う映像を複数組み合わせているので、おそろしく歪みます。それをこまかくチューニングして、空間として成立させるのは骨の折れる作業でした。
小泉: デンソーさんとワントゥーテンさんは、事業内容も企業風土も随分と異なる会社だと思います。山下さんは今回、ワントゥ―テンさんとタッグを組まれて、気づいたことや学んだことは何かありましたか?
山下: 私は2年前にデンソーに入社し、今はコックピット開発部で量産車両向けの提案としてグラフィックやエクスペリエンスのデザインを担当しています。
エクスペリエンスデザインそのものは、まだ未成熟な領域だと思っています。しかし、それ故に技術開発の部門の中で理解を得るのは容易ではありません。そしてその中で、私の思考がブレてしまうときが幾度かあったんです。
そんな時、松重さんから、「山下さんが大事にしていたのはそんなことじゃないですよね」、「言っていることが前と全然違いますよ」と言っていただけたのはすごくありがたかったですし、刺激をもらいましたね。背筋が伸びる、と言いますか。
小泉: ワントゥ―テンさんらしいですね。
山下: ワントゥーテンさんはすごくフラットなんですよ。それがすごくよかった。
これからの時代、デンソーは今以上にオープンになっていかないといけないと思うんです。世の中はもっとフラットな環境で問いの創造に挑戦しているのに、なぜ僕たちは正解だけを追おうとするのか。そういう危機感もあるのです。そうした思いを社内で共有できたことが、今回のプロジェクトにつながっています。
あと、ワントゥ―テンさんと今回仕事をしてよかったと思うのは、ほぼすべての制作現場に呼んでくれたことです。
映像の監督さんがいるディスカッションの場にも呼んでくれました。オーディションにも、音声収録にも立ち会っています。実際にロケをして、撮影した映像をその場で簡易的にVRにしてみて、「あーでもないこーでもない」と、激しく議論したことはとても刺激的な経験でした。また、そうして築けた信頼関係でもあると思います。
松重: 弊社としても、今回のプロジェクトは初めから「共創」ととらえていました。デンソーさんから受け取った想いを、私たちの技術やアイディアだけでカタチにしていこうとしても、ただの「受発注」の関係で終わってしまいます。
ですから、両社が想いを共有し、アジャイル型で一緒にがんがん回していくのが正解だろうと思い、そのような形でプロジェクトを進めていきました。
小泉: 今後は、デンソーさんが持つ個々の技術を高めていって、VRで提案した未来のコンセプトに近づけていくのでしょうか。
山下: はい。複数の技術がからみあって実現できることですから、どの部分の技術を進化させれば理想に近づいていくのか、見えにくいところがあります。ただ、これはある意味、技術者への問いでもあると思います。
そこに、技術者にとっての「?」があってほしいと私は思います。「これができたらおもしろくないだろうか?」とどんどん提案してほしいのです。今回のコックピットも、デンソー社内やお客様に体験してもらったのですが、多くの共感と関心を頂きました。嬉しかったですね。
小泉: あとは、今回のコンセプトをより多くの人に届けることも重要ですね。誰に届けたいですか?
山下: デンソーはサプライヤーなので、車両メーカー様と答えるのが普通なのかもしれません。でも、クルマを実際に買うヒト、乗る人、シートに座ってハンドルを握る人が、未来のクルマに対する期待感をつくらないと、クルマは「道具」になりさがってしまいます。
ですから、あくまでもエンドユーザーの方に届けたいです。「このクルマなら自動運転はありだな」と思ってもらいたい。「数年後に自分のクルマが自動運転になったら、子供をどこに連れていってあげようかな」とか、「その時には子供がもう自立しているから、妻とあらためてどこに行きたいかな」とか、そういうふうに僕らのメッセージを「自分ゴト化」していただいて、それぞれの「移動のものがたり」をつくってもらいたいと思います。
小泉: 本日はありがとうございました。
【関連リンク】
・「移動を、ものがたりに。」(デンソー公式ページ)

