パナソニックは昨年10月、くらしの統合プラットフォーム「HomeX」を発表した。語源は「ホームエクスペリエンス」。家電や住宅設備など、人の「住空間」に関わるあらゆる機器を日々アップデートし、人それぞれの生活スタイルに最適な「エクスペリエンス」(体験)を提供する。この目的のために、パナソニックが新たに打ち出した情報基盤であり、ビジネス・エコシステムである。
「HomeX」は、同社が2017年に「イノベーションの量産化」を掲げ、米国シリコンバレーに設立した新組織「Panasonic β」の第1弾となる成果だ。その指揮を執るのは、世界大手ソフトウェア企業SAPの本社やシリコンバレー拠点で幹部を務めた、馬場渉氏である。「HomeX」に込めた想いについて、IoTNEWS生活環境創造室の奥田涼がインタビューした。
課題先進国シリコンバレーから生まれた「HomeX」
IoTNEWS生活環境創造室 奥田涼(以下、奥田): 「HomeX」のビジョンについて教えてください。
パナソニック 馬場渉氏(以下、馬場): 「HomeX」の語源は「ホームエクスペリエンス」です。家電や住宅設備をつなぐ情報基盤は、既に世の中にあります。しかし、「ホームエクスペリエンス」、つまり住空間での「体験」を毎日アップデートできるようなプラットフォームはありません。
人間の生活は、家にいるか外にいるかで分かれます。モビリティ(自動車)やリテール(小売)の分野は外です。こうした外の分野については、ようやく産業が動き出してきたなと感じています。しかし、「住空間」のエクスペリエンスは何も変わっていない。そこを変えていきたいという思いがまずあります。
さらに、デジタルとリアルの融合する現代のホームエクスペリエンスは、物理的な住空間や外の移動空間などと無関係に存在していますから、人間のホームエクスペリエンスを統合的にマネジメントするという考え方が不可欠なのです。
馬場: あともう一つ、「テクノロジーは人間を幸せにするのか」という問題について、私たちは今一度見直すべきではないかという思いが、「HomeX」の背景にあります。
たとえば、現在の「住空間」においては、最先端の様々な家電などが何となく入りこんでしまっています。必ずしも人間中心にデザインされた空間にはなっていないのです。ですから、もう一度更地からスタートして、あくまで人間の暮らしを中心にした住空間を前提に、テクノロジーを再定義したい。その役割をになうのが「HomeX」です。
奥田: 確かに、「テクノロジーは人間を幸せにするのか」という議論を無視したまま、テクノロジーだけが進化しているという側面はあると思います。馬場さんは今シリコンバレーにいます。そこにいる人たちはその点についてどのように考えているのですか?
馬場: 一つは当然ながら、テクノロジーの進化を推し進めようという考え方です。ただ、その一方でテクノロジーの暴走を止めようという考え方が浸透しているのも事実です。その点で重要な役割を担っているのは、デザイナーです。シリコンバレーは、今では世界で最もデザイナーが重宝されている地域だと思います。
それはある意味、テクノロジーが人間性から乖離することを防ぐためのアンチテーゼであり、あの地域が生みだした処方箋なのです。
最近では、エンジニアでも多様な考えをもつ人が増えています。たとえばAppleには、技術とデザインの両方に長けたエンジニアが数多くいます。スタートアップや大企業問わず、学校でもそうですが、デザインとテクノロジーが地域に根付いています。これは、人間を中心にテクノロジーをとらえようとする文化が根付いているからです。
奥田: なぜ、根付いているのでしょうか?
馬場: シリコンバレーは、テクノロジーと人間性の対立における「課題先進国」なのです。テクノロジーのメッカである分、テクノロジーがいきすぎたことで起こる問題の深刻さにも気づいている。シリコンバレーからいち早く解決策が出てくるのは必然だと言えます。
奥田: 「HomeX」は、そうした課題先進国であるシリコンバレーから生まれたことにも意味があるのでしょうか?
馬場: あると思います。というのも、私は日本で生まれ育ち、SAPというヨーロッパの会社に17年いました。今はシリコンバレーにいます。その中でもシリコンバレーはちょっと異質な場所なんです。何と言いますか、感覚が狂うんですよ。
奥田: どういうことでしょうか?
馬場: 「ディスラプション」(破壊)があたりまえだと思っている人たちばかりだからです。「それで本当に世界がよくなるのか?」と疑問に思うこともあります。ただ、未来の解決策は現実の延長線上にはないだろうということを強く思わされる場所です。「HomeX」のコンセプトにおいても、開発地がシリコンバレーじゃなかったらそうした発想には至らなかったと思います。
Appleとテスラ、産業構造を変えたのはハードウェア企業
奥田: 「家」という観点では、アメリカの家と日本の家はまったく異なると思います。シリコンバレー生まれの「HomeX」を日本で展開することで、ギャップが生じることはありませんか?
馬場: アメリカの暮らしの考え方を前提につくった製品が、アジアやヨーロッパでひろく受け入れられることは絶対にないと思います。しかし、シリコンバレーはもはやアメリカではありません。「無国籍国家」です。多様な人がいて、多様な家があります。
住宅という「ハードウェア」においては、気候や地震といった地域性が重要ですが、私たちがつくっているのは住空間の「エクスペリエンス」なので、もう少し「人間」です。
人間はどこに住んでいても、その本質的欲求はあまり変わりません。アメリカや日本という地域の差で見るよりも、所得や生活の忙しさなど、個人に着目して見た方がいい。たとえば、世界の貧困層の課題などはほとんど抽象化できます。世界に196か国あっても、196種類の課題はないわけです。
住空間のエクスペリエンスをハードウェア(住宅設備や家電)にインストールする場合に、それがアメリカ仕様であったり、日本仕様であったり、色々あるでしょう。ただ、それはあくまでハードウェアの話です。
「HomeX」が手がけるビジネス領域は、コンピュータ産業にたとえるなら「Wintel」(Windows OSとIntel製のコンピュータを指す通称)です。パソコン(ハードウェア)よりも一つ上のレイヤーです。そこでは個々のハードウェアの地域性は特に問題になりません。
一方で、Appleのように、パナソニックは「住空間」において垂直統合のビジネスも可能です。弊社のアプライアンス社、エコソリューションズ社や子会社のパナソニックホームズ(株) のリソースを合わせれば、住空間におけるすべての製品やサービスをフルスタックで提供できますから。こうした企業は世界でパナソニックだけです。
垂直統合のビジネスモデルによる製品の一つが、昨年11月に発表した都市型IoT住宅「カサート アーバン」です。順調に受注が伸びています。
奥田: 「HomeX」はオープンプラットフォームをうたっています。パナソニックらしくないという見方もあると思いますが、どうですか。
馬場: パナソニックらしい面もあると思います。なぜなら、私たちはサービス事業者になろうとしているわけではない。パナソニックはあくまでハードウェアの企業です。
「電話」の産業を考えてみてください。NTTの黒電話がiPhoneになりました。これは、とてつもない非連続的な産業構造の変化です。今はまさにクルマの分野でそれが起こりつつあります。
これらの大変革を起こしたのは、電話であればApple、クルマであればテスラです。どちらもハードウェアの企業です。
私たちは「住空間」の分野において、Appleやテスラのような破壊的なハードウェアプラットフォーマーになりたいと思っています。UberやAirbnbのようなサービス事業者になろうと思っているわけではありません。
彼らはモノを持たない最大のタクシー事業者であり最大のホテル事業者です。「モノを再定義したうえで持たない」ことによってイノベーションを実現した企業です。でも、私たちはハードウェアを進化させたうえでそれをやりたいのです。
馬場: テスラがわかりやすい例です。彼らは非連続にクルマを進化させています。クルマを購入した後もその機能をアップデートできるからです。買った瞬間の価値よりも、その後のソフトウェアのアップデートによりハードウェアの性能が上がる。しかも、スマートフォンのようにUIが変わるだけではなく、ソフトウェアのアップデートで運転の安全性や快適性が高まるのです。これはすごいことです。
「住空間」においては、既存の家電や住宅設備をつなげる、あるいはボイスでコントロールするということは、それはそれでいいと思います。でも50年、100年先には、誰も想像できないような新しい製品が生まれていると思いませんか。だとすると、まずはハードウェアを進化させないといけないのです。
ハードウェアの構造が同じままでは、いいソフトウェアはつくれない
馬場: 大事なことはハードウェアを毎日「アップデート」できることです。かつての家電は、自動化のためにつくられています。自動化と「ホームエクスペリエンスを毎日よくする」ということでは、あまりにも設計思想が違います。自動化を進めても、ビジネスのイノベーションは起こりません。
Appleは今でこそ、Apple PayやApple Storeなどのサービス売上が4兆円をこえました。iPhoneの販売数が増えるほど、サービスのビジネスが立ち上がっていくモデルです。
しかし、Appleのサービスは最初からすべてうまくいっていたわけではありません。デバイスが大量に普及して一定数になったことで、やっと質のいいサービスを提供できるようになったのです。
ハードウェアとソフトウェアでは企業のDNAが違います。パナソニックの25万人の社員にむかって、「俺たちはサービス事業者になる」と言っても、ぐっとこないですよ。ぐっとこないものの経営改革は失敗します。「え?まだハードウェアとか言ってるの?」とたとえ世間から古くさく感じられても、胸をはって、「ハードウェアで世界ナンバー1を奪還する」と言った方がぐっとくるわけです。
奥田: 「ハードウェアの進化」について、もう少し教えてください。
馬場: まず、つなげる必要があります。でも、それ自体にはあまり私たちは着目していません。既に世の中にある製品については、GoogleやAmazonがつなげばいいと思います。私たちはモノとモノがつながったうえで、「エクスペリエンス」を提供したいのです。
馬場: たとえば、「おいしいコメを食べる」というエクスペリエンス。品種や収穫時期、炊く時の外気温などによってコメの炊きあがりは違います。それらを絶妙に調整して、おいしいコメを炊くノウハウが必要です。
パナソニックはこれまで、各地域の農家を回り、どのように炊いたらおいしいコメができるかを追い求め、再現して、炊飯器のソフトウェアに実装してエンドユーザーに提供してきました。
ところが、もし毎年違うコメの品種が生まれ、天候がころころ変わり、ヒトのニーズも多様化した場合に、顧客に最適なエクスペリエンスを提供しようとすると、どうでしょうか。都度アップデートできるソフトウェアのアルゴリズムが必要になります。パナソニックの炊飯器は50種類のコメの銘柄を炊き分けます。ただ、今年の秋に新米が出たとしても、それに最適なコメの炊き方を今持っている炊飯器でダウンロードすることはできないのです。
できないどころか、新米が出てから製品実装して店頭に並ぶまでに2年かかります。16年に出た新米の炊き方が18年にようやく実装されるのです。
これは、製品ライフサイクルの異なる2つの領域が1つのビジネスプロセスの中に混入しているからです。この問題を解決するには、ハードウェアの内部構造を変えないといけません。
世の中にある「つながるモノ」というのは、多くが中を変えず、「外と外」がつながっています。つながることを前提につくられた中とは何か。中と外の関係はどうすべきか。ここを突き詰めていく必要があるのです。中を変えないことにはいくらつながっても本当の未来は永遠にこないのです。
奥田: お話を伺っていて、「HomeX」がハードウェア企業だからできるアプローチだということがよくわかりました。
馬場: パーソナルコンピュータの父と言われるアラン・ケイ氏が「People who are really serious about software should make their own hardware」と言っています。
「HomeX」の話に置き換えると、ホームエクスペリエンスを毎日よくするというこれまでにないソフトウェアをつくりたいなら、そのソフトウェアを最適に動かすこれまでにないハードウェアをつくる必要があるということです。
従来のモノの内部構造のまま、IT企業がどんなにがんばったところで、イノベーションは起きません。電話やクルマの産業を根本から変えたのはIT企業ではなく、Appleでありテスラでした。もちろん、彼らがアーキテクチャを変えたあとに、それを改良した企業がその後のビジネスの勝者になることはあるかもしれません。それはそれでいいと思います。
ただ、誰かがまずはやるべきなんです。「住空間」では、パナソニックがやりたい。
奥田: 本日はありがとうございました。
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