ソニーは9月28日、独自のLPWA通信規格「ELTRES(エルトレス)」を発表。同時に、ソニーのネットワーク事業を担うソニーネットワークコミュニケーションズが、「ELTRES」を活用したIoTネットワークサービスの商用化に向けた国内プレサービスを開始した。
ELTRESの技術はソニーと同社の半導体事業を担うソニーセミコンダクタソリューションズが開発し、昨年4月よりその特徴や実証実験の進捗などが公開されていた。
このほど、欧州電気通信標準化機構「ETSI(European Telecommunications Standards Institute)」から国際標準規格に採択されるとともに、商用化へ向けたステップへ移行。ELTRESを活用してビジネス展開を検討する企業を対象としたパートナープログラムも開始する。
100 km以上の長距離通信、時速100 km以上の高速移動体でも通信可能、GNSS搭載で低消費電力(コイン電池1個で動作可能)という3つの特徴をもつELTRES。どのような技術であり、どのようなユースケースが考えられるのか。ELTRESのプロジェクトに関わる次の方々に話をうかがった(聞き手:IoTNEWS代表 小泉耕二)。
- ソニーネットワークコミュニケーションズ株式会社 IoT事業部門 事業推進1部 ELTRES™ IoTネットワーク プロジェクトマネージャー 永井直紀氏
- ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社 コネクテッドサービス事業室 室長 井田亮太氏
- ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社 IoTソリューション事業部 開発2部 主任技師 北園真一氏
技術実証は終わった、パートナー企業とユースケースをつくっていく
IoTNEWS 小泉耕二(以下、小泉): 「ELTRES」のコア技術について、以前に展示会などで拝見していました。今回、ついに技術実証が終わり、商用化が始まるということですね。
ソニーネットワークコミュニケーションズ 永井直紀氏(以下、永井): はい。まずは「プレサービス」というカタチでスタートします。当社のプレサービス専用端末を使って、「ELTRES」によるIoTネットワークを利用することができます。提供エリアは東京(一部除く)で、利用料は1,000円、利用できる期間は最大3カ月です。
狙いですが、世の中でIoTが注目されてはいるものの、市場調査のデータなどを見ると、「遅れ気味」という印象を持っています。そこでまず、お客さんの現場にどのようなニーズがあるのかを見てみたいということがありました。
また、ELTRESはソニー独自の規格であり、基地局の設備などは私たちが自ら設計していきます。私たちはこれまで「NURO」(ソニー独自のインターネット光回線)の事業を手がけてきました。その場合、適切な仕様や設定はわかります。しかし、IoTのネットワークとなるとまた事情が違います。どのように保守すべきか、どこまでの冗長性をとるべきか、標準の設計はできていますが、それがお客さんのニーズにとって最適なのかどうかを見ていきたいと思っています。
小泉: どのような現場で使いますか?
永井: さまざまな用途が考えられますが、基本的にはゼロからパートナー企業さんと一緒に考えていく姿勢でいきたいと思います。その中でサービスの提供価格や通信の冗長性についても検討していきます。
ELTRESのパートナーカテゴリには、以下の4つがある。
- 端末パートナー:IoT向けデバイスの設計・製造を行う
- ソリューションパートナー:「ELTRES IoTネットワークサービス」を活用したソリューションの開発、構築、運用を行う
- アプリケーションパートナー:連携可能なアプリケーションやプラットフォームを構築する
- チャネルパートナー:ソリューションやアプリケーションなどを販売する
以上のパートナープログラム参入企業に対し、ソニーネットワークコミュニケーションズが最新技術や市場動向などの情報を提供する。また、プロモーションやパートナー同士のビジネスマッチングなどもサポートする。
小泉: プレサービスを通して、価格や保守体制など、事業としてのしくみをつくっていくのですね。でも、いざ商用化で基地局を立てるとなると、時間もお金もかかりますね。
永井: そうですね。ただ、ELTRESの場合は長距離通信が可能で基地局の数が少なくてすみますから、他の通信規格に比べると基地局の設置はスムースだと思います。
小泉: なるほど。
次ページ:ELTRESの3つの特徴
ELTRESの3つの特徴
小泉: ELTRESの特徴をあらためてお聞かせいただけますか。
ソニーセミコンダクタソリューションズ 北園真一氏(以下、北園): 最大の特徴は、「長距離安定通信」です。見通しがよければ100 km程度の通信距離が出せます。
そもそも通信の距離云々というものは、お客さんとっては関係のないことですよね。きちんとつながっていればいいのですから。私たちは、その「きちんとつながる」ことを担保するために、受信感度を高めています。その結果として通信環境のいい状態では遠くまで届くので、わかりやすく「長距離通信」とうたっています。また、電波が混雑している都市部などの環境でも安心してつなげられます。
二つ目は、クルマなどの「高速移動体」でも通信できるという点です。物流分野などへの応用が考えられます。これは他の通信規格と大きく違うところです。
最後に、低消費電力です。これはLPWAですからあたりまえのことです。しかし、ELTRESの場合はGNSS(グローバル衛星測位システム)を活用して送受信の同期を取ることが特徴です。
GNSSと同期すると、精度の高い時刻情報を用いることができ、送信ノードと受信局の周波数とタイミングをきっちり合わせられます。そのため、通信の効率や信頼性がよくなりますが、その分、電力は消費します。
しかし、ELTRESの場合はソニー社内でウェアラブル用に開発された低消費電力のGNSS LSIを使うことで、トータルの消費電力をおさえています。
また、ELTRESはデータを集める方(上り通信)に特化しており、一方向なのでデバイスが電波を出す時だけ動けばいいので、低消費電力となります。
続けて、技術的な特徴をいくつか紹介していきます。一つは、「時間ダイバーシティ」(Time Diversity)です。これは他の通信規格でも使われている技術ですが、ELTRESの場合は「最大比合成」タイプのTime Diversityであることがポイントです。
他の通信規格の場合は、データを3回ほど送り、「そのうち少なくとも1回は受信できれば良し」ということがTime Diversityとされています。私たちの場合も複数回に分けてデータを送ることは同じですが、異なる点は、すべてのデータを活用し、最後に受信側で合成するということです。これにより、電波が減衰して信号が弱くなることを補っています。
ソニーセミコンダクタソリューションズ 井田亮太氏(以下、井田):先日、海上での救助のユースケースを想定した実証実験として、海上にいるダイバーに付けた端末から通信ができるかどうかを確認しました。
海の場合、電波を複数回送っても、波に蹴られてデータが届かないということが起こります。しかし、ELTRESは受信側で合成することで位置情報がきちんと取り出せるために、ダイバーの位置がしっかり見えたのです。
小泉: それはすごいですね。
北園: もう一つの特徴が、「Space Diversity」です。1個のノード(送信端末)に対して、複数の基地局で受信するという、他の通信規格でも使われる技術ですが、ELTRESの場合は少しインテリジェントにしています。1個の送信ノードに対して、すべての受信局で受信するのではなく、将来、送信ノードが増えたとしても受信機の処理能力を圧迫しないように、受信機の負荷状況によって受け持つ受信局を決めるようにしています。
そして、「高速移動体」にも強いので、端末が移動してきたら順次、受信局がバトンタッチして受け持っていくというしくみを取り入れています。
小泉: 高速移動体を複数の基地局で追いかけるというのは、技術的にとても難しそうだという印象があります。
北園: そうですね。ただ、ELTRESではそれができるしくみをつくりました。
小泉: ある程度の基地局の数がないと難しいですか?
北園: いえ、数というよりは基地局の処理能力の問題です。さきほどご説明した、最大比合成タイプのTime Diversityを取り入れていることから、受信機ではとても複雑な信号処理を行っています。信号処理の能力が高くないとさばききれません。しかし、サーバの能力が高ければ処理数は上げられますし、複数の受信機を一つのセル内に置くことによって、処理数を上げることもできます。
小泉: ELTRESは通信距離が長い分、色々な電波を引っ張ってしまいます。そうすると、1つの基地局にかかる負担が通常のネットワークに比べると大きいですね。
北園: おっしゃるとおりです。
小泉: かなりインテリジェントな設計をされているので、受信機の負担はけっこう重いのだろうなと想像していました。そこがELTRESでは解消されているということですね。
北園: ええ、商用ベースで使えるレベルです。
次ページ:アドベンチャーレースでの活用事例
アドベンチャーレースでの活用事例
小泉: 気になるのはユースケースです。
井田: 私たちが想定しているユースケースと市場で期待されているものは必ずしも一致しないと思っています。さきほどのELTRESの特徴から、私たちとしては高速移動などを想定してはいますが、現在、主に実証実験を行っているのはそういった用途ではなく、キャリアのネットワークが届かない場所です。
今年の6月に長野県で開催されたアドベンチャーレースの事例をご紹介しましょう。トレッキング、MTB、SUP、ラフティング、懸垂下降などを長野県白馬村の山奥で、3日間かけて行うイベントです。
こうした山奥では、キャリアのネットワークがつながりません。そこで、私たちとソラコムさん、NSW(日本システムウェア)さん、TREK TRACKさんなどと協力してGPSトラッキングのプロジェクトを行いました。参加者にトラッカーを持たせて、彼らがどこにいるのかを運営側が「見える化」する取り組みです。
ソニーからはLPWAのネットワークとトラッカーを提供しました。ソラコムさんには3G回線とネットワークを統合するプラットフォームをご提供いただきました。コースの全長は約250kmで、LPWAに関しては、4つの基地局と臨時で手配した移動受信局車2台でほぼ全域ををカバーしました(下図)。
小泉: 受信局はたった6つですか。少ないですね。
北園: 受信エリアはほぼシミュレーション通りでしたね。むしろ、それ以上につながりました。
井田: このしくみを使うと、選手が今どこにいて、どういう状況なのか(動いているのか、遭難しているのか)がわかり、とても運営がスムースになったと高評価でした。
このアドベンチャーレースはとても過酷な競技で、遭難する方も出てきます。でも、GPSを使えば「今このエリアを移動しているから大丈夫」ということがわかります。あるいは、動いていないことがわかれば、すぐに助けに行けます。メディアの方もこの位置情報を使って、先回りして写真を撮ることができました。
また、運営側には「スイーパー」という物資を拠点間ごとに運ぶ役割の方がいますが、彼らにもトラッカーを持っていただきました。すると、どの車両が今どこに向かっているかがすべて見えるので、運営の物資のやりとりもすごくスムースにいったということです。
都会の避難訓練から物流まで、多様なユースケースを想定
小泉: 実証実験は地方が多いのですか?
井田: いえ、アドベンチャーレースは特殊なケースです。実際には、都市部の方が多いですね。都市部では子供の見守りや避難訓練の実証実験を行っています。
小泉: 避難訓練というのは、バックアップ用のネットワークにLPWAを使うというようなことでしょうか。
井田: そうです。NSWさんと行った千葉県富津市の事例があります。富津市は海辺の町ですから、津波の被害にさらされる危険があります。避難警報を発令してから、5分間で海抜10メートルの場所まで行くという市としての目標があります。そのための避難訓練を、富津市では毎年1回、行っています。
その際、紙の地図を住人に渡して、彼らが5分ごとに自分の居場所をプロットし、市の職員が回収して、集計するということをしていました。
しかし、高齢化が進んでいることもあり、実際に移動しながら自分がどこにいるのか正確にプロットするのは難しいそうです。あとは、集計する職員の手間がものすごくかかります。
そこで、LPWA通信ができるタグを住人のみなさんに持っていただいて、NSWさんのIoTプラットフォーム「Toami」で位置情報を集計することで、防災訓練のプロセスがいっきにデジタル化されました。これも非常に評価が高かったですね。
小泉: この実験の場合は、基地局との距離はどれくらいですか?
井田: 約50 kmです。
小泉: すごいです。それだけ通信の距離があるとIoTも状況が変わりますね。しかもソニーさんだと安心感があります。
井田: ありがとうございます。他にも農業の分野で水田から水温や水位のデータを集める実証実験を行いましたが、97 kmの距離で一つの受信局で通信ができました。距離はかなりの強みです。
小泉: 物流分野でのユースケースはどうですか?
井田: 物流については、実証実験がもうすぐ始まります。荷物の可視化は注目されてはいますが、倉庫の中のどこにあるのか、途中の輸送経路なのか、お客さんのところなのか、すべてが可視化できているわけではありません。
小泉: しかもつながっていません。
井田: そうなんですよね。ばらばらなんです。特に、途中が抜けてしまっています。その抜けた部分を可視化するために、物流車両との通信が可能なELTRESが使えるだろうと考えています。
小泉: 費用対効果はどうですか? LPWAはさきほどの防災訓練のように、ヒトの命に関わるケースなどで活用が期待される技術です。しかし、事業者側としては、基地局を立てても収益がないと厳しいです。
井田: そうですね。さまざまなビジネスモデルがありますが、一つは自治体との連携です。たとえば山梨県と長野県にまたがる八ヶ岳は、日本で最も遭難者が多い山です。自治体が相当な予算を使って救助を行っています。
私たちの技術を使って遭難者を減らせるということであれば、彼らとしてもメリットですし、私たちのビジネスとしても、ROI(投資利益率)に基づいて受信機を設置できます。
小泉: 公共性が高い用途での活用が期待されますね。これまで何でも人力でやっていて限界があったことがIoTによって解決されていくのは素晴らしいことです。
井田: ELTRESはETSI(エッツィ:欧州電気通信標準化機構)から国際標準規格として採択されましたから、自治体さんなどに安心して使ってもらえると思います。
小泉: そうですよね。あと、海外のお客さんも安心して使えますね。広大な土地や砂漠がある海外ではLPWAがとても期待できると思います。
ちなみに、「ELTRES」とはどういう意味なのでしょうか?
北園: スペイン語で「EL」は定冠詞、「TRES」は「3」という意味です。冒頭でご説明した私たちのLPWAの3つの特徴を表しています。
小泉: なるほど、そうだったんですね。これで、3つの特徴を忘れなさそうです。本日はありがとうございました。
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