2020年版ものづくり白書が5月29日に公開された。ものづくり白書は、ものづくり基盤技術振興基本法(平成11年法律第2号)第8条にもとづく、政府がものづくり基盤技術の振興に関して講じた施策に関する報告書だ。経済産業省、厚生労働省、文部科学省の3省が共同で作成を行っている。
2020年版ものづくり白書では、「我が国製造業が、この不確実性の時代において取るべき戦略」(総論)がメインテーマとなっている。具体的には、それは「ダイナミック・ケイパビリティ(企業変革力)」の強化であり、その最も有効な手段としての「デジタルトランスフォーメーション(DX)」の具体策が書かれている。このほど、同書の作成をとりまとめた経済産業省 製造産業局ものづくり政策審議室長の中野剛志氏にインタビューを行った(聞き手:IoTNEWS代表 小泉耕二)。なお、本インタビューは前編の中野氏による白書の解説をもとにしているため、まずはそちらを読んでいただけると理解がスムースになるはずだ(前編はこちら)。
「柔軟な組織」は、ダイナミック・ケイパビリティが高い
IoTNEWS 小泉耕二(以下、小泉): 今年のものづくり白書はとても読みやすいと感じました。従来と何かを変えたのでしょうか?
経済産業省 中野剛志氏(以下、中野): ストーリーを明確にし、それに沿って内容もかなりしぼるようにしました。
小泉: なるほど、どうりで。ダイナミック・ケイパビリティの強化とDXの関係など、ストーリーがとてもわかりやいと感じました。
中野: ありがとうございます。工夫したところでしたので、よかったです。
小泉: さて、(前編で)ご説明いただいた白書の内容で、いくつか質問させてください。まず、ダイナミック・ケイパビリティについてです。あくまで私のイメージですが、中小企業は大企業と比べると、ダイナミック・ケイパビリティを高めることが難しい感じがします。なぜなら、つくっている品目自体が少ないような小さな企業が「ダイナミック」になろうとしても、無理があるように思うからです。そのあたりは、どう理解したらよいでしょうか。
中野: 中小企業にも色々な場合があると思いますから一概には言えませんが、今回のアンケート調査で一つわかったことは、実は中小企業の方が大企業よりもダイナミック・ケイパビリティが高い傾向があるということです。ダイナミック・ケイパビリティが高い企業というのは、職務権限が個人に固定化されていない、つまり一人一人の職務の自由度が高い「柔軟な組織」とされています。アンケート調査によると、中小企業の方が「柔軟な組織」が多いということがわかり(下の図)、そのためにダイナミック・ケイパビリティも高いだろうということがまず一つです。
次に、これはあくまで推測ですが、中小企業の方が不確実性にもまれてきたということがあると思います。つまり、経営資源や経営体力で劣る中小企業では、変化に素早く対応していかないと生き残れないということです。今回の新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19と表記する)においても、素早くフェイスシールドや医療用ガウンの製造を始めた中小企業もありました。
中野: 一方で、デジタル化においては、中小企業の方がリソースは限られていますから、難しいという面はあります。ただ、その中でも、白書でも事例をとりあげたツバメックス(本文コラムp.95)やワールド山内(本文コラムp.156)、金剛(本文コラムp.60)などの企業は、デジタル化も熱心です。
ポイントは、多品種少量生産です。たとえば、自動車部品や航空機部品、半導体などの幅広い製品を小ロットで扱う企業があるとします。すると、今回のCOVID-19のように、航空機の分野が大きなダメージを受けたとしても、一方で絶好調である半導体の分野では生き残っていける、ということがあるのです。デジタル技術などをうまく使うことで、中小企業のサプライヤーでも、多品種少量を実現することはできます。こうしたことをトータルで考えると、中小企業が今後ダイナミック・ケイパビリティを向上できないかというとそうではなく、むしろ逆であるということもいえるわけです。
小泉: ダイナミック・ケイパビリティは「企業内部で構築すべきもの」という話もありましたが、これは現場を重視する日本企業の強みであるともいえます。さまざまな観点があると思いますが、結局のところ、日本企業はダイナミック・ケイパビリティが強みなのか、弱みなのか、どちらといえるでしょうか?
中野: 企業内部で能力を構築するのが日本企業の強みであるならば、日本企業のダイナミック・ケイパビリティは高いといえます。しかし、本当に今でも日本企業のダイナミック・ケイパビリティは高いのかというと、疑問があるわけです。例えば、白書の図122-7(上の図)が示すように、日本の大企業の組織は予想以上に硬直化していました。これは近年、効率性重視に偏重したせいだと考えられます。また、デジタル化の必要性を認識しながら、デジタル人材を外部に依存し、企業内部で十分育成していないという現状もあります。したがって、かつては日本企業の強みであったダイナミック・ケイパビリティの意義を改めて見直し、それをデジタル化によって復活させ、進化させるべきであると考えています。
小泉: 市場からの要請があれば、変種変量に対応できる企業が日本にも数多くあることは私も認識しています。ただ一方で、新たな市場を切り拓いていく「メーカー」になるような中小企業がなかなか現れないということも感じています。こうした現状については、どうお考えですか。
中野: それは大きな課題です。ただ、将来に目を向けると、中小企業が変化していくチャンスは十分にあると私は感じています。おそらく、今回のCOVID-19の影響は、「ウィズコロナ」としても、「ポストコロナ」としても、長く続くでしょう。そうすると、従来のように「中国やインドに大きな成長市場があるからガンガン打って出よう」という時代ではもはやなくなります。大きな成長市場を目指すビジネスモデルがそもそも通用しなくなる可能性があるのです。
では、どうしたらよいでしょうか。一つは、これまであまり注目されてこなかった小さなニッチ市場を、損益分岐点上ペイするような事業モデルで攻めていくことです。あるいは、「ものづくりからことづくり」といわれるように、いったんとらえた顧客を手放さないためにきめこまやかなサービス提供に力を入れていくという戦略です。そうした戦略においては、我が国の中小企業には十分チャンスがありますし、そのポテンシャルは高いと私は思います。
小泉: 大きな企業では、工場が大量生産にしか対応していないため、小さな市場の製品を新たにつくることが難しいという話も聞きます。しかしそれでは、日本の伝統的な強い企業が、海外の強い企業に負けてしまうという危惧があります。各国の企業との競争に勝つために、何が変化のきっかけになるでしょうか。
中野: やはり、大きな企業だから小さな市場は獲りにいかないというやり方は通用しない時代であるということを、理解する必要があると思います。一方、企業のヒアリングを行ってきた私の肌感覚では、デジタル技術の活用などがむしろ日本企業が成長するきっかけになるのではないかと前向きにとらえています。従来からのマインドを変えるのは確かに大変です。しかし、いったんデジタル技術の活用を始めて軌道に乗ると、いっきに進むのではないかという気がするのです。なぜなら、日本の製造業の強みは、職人(匠)の技にあったわけでしょう。そういう方たちは、いざIoTなどで問題が可視化されると、それを夢中になって改善しようとします。ものづくり本能が目覚めるわけです。その結果として、多品種少量を得意とするような企業がたくさん出てくる可能性もあるのではないかと、私は期待しています。
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これからは、「BCPがニュー・ノーマル」
小泉: (前編の)ご説明の中で、3DCADを使った設計プロセスが日本では普及していないというご指摘がありました。一方で、3DCADの設計データをもとにして作った設計BOM(部品表)が、開発や生産、保守といった後続のプロセスにおいても使われていないと、製造工程全体のDXが実現できないという問題があります。私の印象では、まだプロセス毎に独自のBOMを使っている企業が多いように思いますが、現状はどうでしょうか。
中野: まさにご指摘の通りです。エンジニアリングチェーンを強化するには、BOM(部品表)を整備し、上流(設計)から下流(製造、販売など)までの各工程がデータを共有できるようにしなければなりません(下の図)。ところが、BOMの整備ができていない企業がとても多いのが現状です。そこで、今回の白書では、設計部品表(E-BOM)と製造部品表(M-BOM)、工程表(BOP)の連携の重要性についてかなり詳細に記述しています(本文p.78)。
BOMの整備は、サプライチェーン再編の議論とも密接に関係しています。たとえば、不測の事態によって工場を閉鎖し、そこでつくっていた製品を、別の工場で製造しなければならない場合。それを実行するには、工場間でBOMが統合されていないといけません。ところが、実際にヒアリングを行ってみると、今回のCOVID-19の武漢での感染拡大や2011年に起きたタイの洪水の際に、(閉鎖した工場の)BOMを初めから整備しなければならなくなったという企業があったようです。BOMの整備は、柔軟性のあるサプライチェーンの構築とダイナミック・ケイパビリティの強化において、きわめて重要なのです。
小泉: 東日本大震災を契機に、日本企業はBCPに力を入れてきたと私は思っていました。しかし、COVID-19の件で、サプライチェーンの脆弱さが露呈したというお話がありました。さきほどのBOMの議論も、結局はBCPに帰着するようにも思います。その点では、課題はどのあたりにあるとお考えですか。
中野: 東日本大震災でBCPを強化してきたことは事実です。実際に、東日本大震災で大きな被害を受けたり、その教訓を活かしたりしてきた企業は、今回の事態においてもうまくのりこえているという印象はあります。しかし、前半に申し上げた「不確実性」の話に戻りますが、先を読んで「地震のために」備えるということだけではやはり限界があります。地震もCOVID-19も米中貿易摩擦もBrexitも地政学リスクも、とにかく何が起こるかわからないわけです。
何が起こるかわからないということを前提に、戦略を考えなければならないのです。つまり、「常時BCP」であるということです。BCPがニュー・ノーマル(新しい常態)です。もちろん、そうした戦略では効率性は落ちてしまいます。ですが、効率性が落ちても、やらないといけないのです。それが発想の転換ということの意味です。そして、効率性と柔軟性というトレードオフを解決するためのきわめて有効な手段が、デジタル技術の活用であるということを、白書を通してぜひ理解してもらいたいと思います。
小泉: 貴重なお話をありがとうございました。

