サッカーに人工知能などの最先端のテクノロジーを取り入れ、革新をもたらそうとしている日本人がいる。SBVエクセルシオール(オランダ1部リーグ)、アシスタントコーチ/テクノロジーストラテジストの白石尚久氏である。
白石氏は18歳で本格的にサッカーを始め、プロ選手となった。その後、スペインに渡り監督やコーチを歴任。2012年にはアジア人として初めての欧州1部リーグの監督(スペイン・女子チーム)に就任した。2017年には元サッカー日本代表・本田圭佑選手の「専属分析官」を務め、ACミラン(イタリア)やCFパチューカ(メキシコ)での活躍を支えたことで知られる。
白石氏が次に目指すのが、選手の育成や戦術構築、フィットネスの向上にテクノロジーをフル活用する「次世代の監督」だ。今回、オランダから一時帰国した白石氏にインタビューを行い、その構想についてうかがった(聞き手:IoTNEWS代表 小泉耕二)。
ディープラーニングを活用し、試合を分析する
IoTNEWS 小泉耕二(以下、小泉): 白石さんが研究を進めているサッカーの「テクノロジー」とはどういうものでしょうか。
SBVエクセルシオール 白石尚久氏(以下、白石): 最先端のものはAI技術で、具体的にはディープラーニングです。たとえば、何千・何万とある過去の試合を学習データとして活用し、過去の試合内容を分析します。
小泉: ディープラーニングを使っているのですか。それは、試合の勝ち負けに影響するような分析ができるものなのでしょうか。
白石: 勝ち負けとまではいきません。たとえば、サッカーの場合、対戦相手のスターティングメンバーはいつも変わります。なんなら、試合当日にがらっとフォーメーションを変えてきたりもするわけです。ですから、たとえ入念にシミュレーションを行ったとしても、その通りになることは難しいです。
ただ、傾向と対策を練ることはできます。今、チームはどういう状態なのか。監督は「こういうサッカーをしたい」と言っている。しかし、過去の試合のデータからチームが勝っている時の傾向を分析すると、監督のビジョンとは異なるインサイトを示している。だとしたら、勝つための正しい方法はこれなんじゃないか、という提案が可能になります。
小泉: 試合の内容や結果の他に、分析の対象となるデータはあるのでしょうか。
白石: 選手の「フィジカル」のデータです。たとえば、練習中の「インテンシティ」(選手が発揮するプレーの強度を表す言葉)は高いのに、試合のインテンシティは低いという場合があります。その理由はなぜか。データを分析すれば見えてきます。
「ボールポゼッション」(チームがボールを保持していた時間の割合)や試合中のトータルの走行距離、時速25 km以上のハイスピードで選手が走っていた時間。そうしたさまざまなデータが試合ごとにあがってきます。それらを総合的に分析することで、「このチームは60分以降にインテンシティが落ちてくるが、それはなぜか?」といった原因解明につながります。ただ、その分データの量は膨大になります。
そうしたデータに対し、統計解析はもちろん、機械学習やディープラーニングなどの手法を適切に活用できれば、今やっているような分析作業はすごく楽になりますし、人間が理解していないようなことも分かってくると思います。
小泉: 驚きました。もう、そんなレベルまできているのですね。
白石: はい。ただ、そうした取り組みは欧州のビッグクラブでもほんの一握りです。チャンピオンズリーグのような大きな大会に出るビッグクラブほど試合数が多く、かかえている選手やスタッフの数も多い。そのため、分析のプロセスをAIでいかに効率化できるかが焦点になっています。一方、ビッグクラブ以外でAIの活用を進めているのは、世界でも私だけだと思います。
小泉: AI技術の他にはどのようなテクノロジーがありますか。
白石: 大まかには、プレーの映像を分析する「ビデオアナリシス」と選手のフィジカル面を分析する「スポーツサイエンス」という2つの領域があります(後述)。ただ、問題はこの2つの領域のデータを統合するテクノロジーがないことでした。そこで今、AI技術が求められるのです。
小泉: AI技術を使えば、分野をまたがる膨大なデータを分析することができますね。
白石: はい。ただ、世界トップクラスのAIエンジニアは基本的にはサッカーの世界にはきません。サッカーの現場をわかっている人間とAI技術を駆使できる世界トップクラスの会社が連携し、プロジェクトを進めていくことが必要です。
小泉: AIエンジニアの中にもサッカーが好きな人がいると思いますが、好きなだけでもだめですよね。
白石: はい。「サッカーの一流」と「エンジニアの一流」が組まないと意味がありません。サッカーの分析ソフト会社が出してくるデータは、現場にとって実用的でないものが比較的多いです。
試合の映像を分析して、「実はここにパスコースがあった」と可視化するような用途ではいいのです。ただ、サッカーの試合というのはもっと複雑で、分析の結果パスコースがないように見えても、「ボールを浮かせる」などすれば、いくらでもパスコースが見つかったりします。それをすべて可視化することは並大抵のことではありません。
あるいは、「選手Aは〇回パスを失敗している」と分析したとしても、そもそも「良いパス」とそうではないパスの評価が曖昧です。
良いパスが出ているのに、味方が受け取れなかった場合も「ミスパス」という定義で分析したとします。しかし、その「良し悪し」を決めるのは誰でしょうか。解答がないわけです。でも、それは当然のことであり、だからこそ、AI技術力がとびぬけて高い人たちとタッグを組み、新たな学習モデルを構築していかないといけないのです。
小泉: AI技術を活用しようと考えたきっかけはあるのでしょうか?
白石: 私がスペインリーグで監督やアシスタントコーチをしていた時、新しいテクノロジーを積極的に取り入れている人たちがいました。元FCバルセロナのルイス・エンリケやフアン・カルロス・ウンスーエです。私はそうした人たちの下でサッカーを勉強してきたので、自分も新しいサッカーを創っていきたいという思いがありました。
AIが「イニエスタになれる可能性」を引き出す
白石: あとは、本田選手の分析官をしていたこともきっかけです。個人分析官は、自分が担当する選手自身とその選手が次に対戦するチーム、およびマッチアップする選手を分析します。
プロリーグは基本的に1週間に1試合のペースですが、そうすると毎試合に向け、担当選手の前の試合と対戦相手の過去の4試合、合計5試合ほどを分析するのが限界です。もし1週間に2試合あるような場合には到底、分析が追いつきません。
そこで、私の代わりに、私の考えを反映しながら作業できる方法がないだろうかと、本田選手とは話をしていました。そこで出てきたアイディアが、AI技術の活用です。
小泉: AI技術を試合で活用した実績は既にあるのでしょうか?
白石: 研究や論文などの発表は進んでいますが、アナリティクスの領域で本格的にAI技術を活用して、実績を出している例はまだあまりないように思います。
FCバルセロナでは、20試合のデータを計算できるコンピュータを使ってトライ&エラーを行っている段階です。本格導入には、もっと予測の精度を上げなければなりません。私のチームでも、70%以上の確率で予測できないものは、すべてヒトがデータを見て、「これは使える、使えない」と判別しています。
いずれにせよ、仮説を立てられることは重要です。先日、アヤックスのトップチームの分析官と話をしていたのですが、こんな例があります。
選手たちの「インテンシティ」が落ちるタイミングは、ある程度、失点の時間帯およびフィットネスデータで把握することができます。そこで、私たちエクセルシオールがアヤックスと対戦したとき、アヤックスはエクセルシオールが疲れて「足が止まる」時間を予測したのです。
具体的には、エクセルシオールは前半残り10分の失点率が99%、後半残り30分以降の失点率が100%でした。アヤックスは2日前にポルトガルでベンフィカとUEFAチャンピオンズリーグを戦っており、非常に疲れていました。
そこで、わざとエクセルシオールにボールを回させ、ペナルティエリア付近はボールを放り込むので守備をしっかり固めておくという戦略をとりました。「この時間帯になると必ず相手の足が止まり、カウンターで点が取れる」という予測のもとです。すると、本当にその通りになったんですね。その後はアヤックスの独壇場は言うまでもありません。
戦略にはデータが必要です。それはあたりまえのことのはずですが、数字やデータを読めない監督の方が多いのです。今後、そうした監督はどんどん淘汰されていくと思います。会社の経営者と同じです。今はそういう時代に来ています。
小泉: データやテクノロジーに対して、「使えそうだ」という期待は誰もが抱くものの、「これは絶対に使える、信用できる」と確信を持つまでには、高いハードルがあるように思います。産業界を見ていても、実用に至っているケースはそこまで多くありません。
白石: そうでしょうね。サッカーの場合は、毎回のフィジカルトレーニングで「ここまで到達しないといけない」という目標値があります。その選手のフィジカル面の状態を前提に、相手のチームはこういうプレーをするはずだから、こんなに対策を立てていこうとトレーニングを構築できれば理想です。しかし、それをできない指導者が多いのです。そもそも、フィジカルデータの数字を読めないからです。
FCバルセロナやACミランのようなビッグクラブでは、トップチームのスタッフは100人ほどいます。本田選手のいたCFパチューカでも、少ない方だと言われていて30人です。私が今所属しているオランダのエクセルシオールは10人しかいません。本当は、そうした小さなクラブこそ、データやテクノロジーを活用していかないと淘汰されてしまいます。
小泉: テクノロジーが不可欠な時代にきているのですね。
白石: 先日、イニエスタ(※)のプレーを分析した結果を監督に見せました。でも監督は、「これはバルセロナだから、イニエスタだから」と答えました。「違う」と私は言いたい。ここにこそ、選手の眠っているポテンシャルを引き出せる可能性が秘められているんです。
ヒトの眼では気づかないことさえもを、AI技術を活用すれば見つけ出せるはずです。
小泉: そのデータをうまく使えば、イニエスタになれるかもしれませんよね。
白石: ええ。それは、やってみないとわからないですよね。それなのに、私たちは得てして後から「そんなの知らなかった」、「指導者からそんなことは教えてもらわなかった」というわけです。
本田選手と仕事をしていて思ったのは、ヒトにはそれぞれに才能があって、それをいかに見つけだせるか、伸ばしていけるかが重要です。本田はイニエスタやシャビのようになれません。でも、彼にしかないストロングポイントがあります。それを伸ばしていくために、テクノロジーが使えるのです。
※FCバルセロナやスペイン代表で活躍した世界的に有名なサッカー選手。昨年の5月にJリーグのヴィッセル神戸に移籍。世界トップレベルのプレーで日本のサッカーファンを魅了している。
小泉: どのような選手でチームを構成すると強くなる、というような「チームビルディング」の観点でもAI技術は使えるのでしょうか。
白石: 使えると思います。たとえば、選手のスカウティングです。代理人は「この選手は良いですよ」と主張するものの、「何がどれくらい良いのか」根拠を聞いても答えられません。個人情報ですから、フィットネスのデータなどを見せられないということも理由としてあります。
ただ、試合の映像を分析すれば、選手の走るスピードだけでなく、人間の目だけでは見えにくかった選手の長所がはっきり見えてくるはずです。
目標は、監督としてUEFAチャンピオンズリーグ優勝
白石: さらには、「加速スピードと減速スピードが同じだから、とても働く選手だ」、「加速はよくても減速は悪いこの選手は、スペースにむかって走っているだけで、ボールを失うと歩きがちだ」といった選手の傾向も分析をすればわかります。
また、コンピュータビジョンやとディープラーニングなどの技術を使えば、選手のプレーの「視野」も推測できるはずです。そうした様々なデータを用いることで、選手の将来を予測することができます。
たとえば、24歳の選手Aと元日本代表かつブンデスリーガ(ドイツのプロリーグ)でプレー経験のある30歳の選手Bを分析し、同じレベルの数値が出ていれば、選手Aは将来、日本代表になり、海外で活躍できる可能性があるかもしれない、と予測できます。「その根拠は?」と聞かれれば、様々な数値や映像からディープラーニングを中心とする技術を活用し、数値を示す時代が来ると予想されます。
一方、選手のメンタルは数値化できません。そこは選手本人や分析官、監督・コーチ、代理人などさまざまな人にヒアリングを行い、異なる視点から情報を分析します。
小泉: あらゆる情報がデジタルデータ化できるIoT時代ですから、予測の可能性はどんどん広がりそうですね。
白石: 本田選手の分析官としてミランにいる時に彼らスタッフが言っていたのは、「フィットネスでは数値しか信用しない」ということです。「なるほど」と思いました。
今、「スポーツサイエンス」の分野では、バイタルデータを取得する技術が向上してきたこともあり、データをもとに選手のフィットネスを分析するノウハウがかなり充実してきています。
たとえば、こんな例があります。選手のフィットネスの数値を見る限りでは、もう体力の限界をむかえている。でも、なぜかまだ走れている。
身体の中の「筋肉グリコーゲン」(運動のエネルギーとなる成分)のうち70%が55分~60分で枯渇するはずなのに、どうして後半でもこれだけ走ることができるのか。その能力は、どうやったら伸ばせるのか。スポーツサイエンスでは分析することが可能です。
また、試合の映像データを分析する「ビデオアナリシス」もサッカーにおける重要な領域です。これら2つが、サッカーにおける主流の分析領域です。しかし、今はもうその時代ではないと私は考えています。フィットネスだけでもだめ、映像分析だけでもだめで、それらをつなげるテクノロジーとしてAI技術のような先端技術が必要です。
小泉: 選手にとっては、どれくらいのテクノロジーの理解が必要でしょうか?
白石: 選手には、テクノロジーの理解は求めません。なぜなら、多くの情報を与えすぎると足が止まってしまうからです。選手に見せるのは映像のみです。こまかいことを説明しても意味がありませんし、そもそも考えながら運動はできないからです。
サッカーでは、「眼で見た瞬間に体が動く」、この瞬間のスピードが勝負です。そのスピードを向上させるためのトレーニングを、選手が知らないところで僕らはテクノロジーを使って開発していくわけです。「なぜそれをやるのか?」と聞かれれば、もちろん答えます。映像を見せながら「こういう理由だ」と伝えます。
ただし、余計な情報は入れません。大事なことは、選手の目線で選手と対話しながら回答を引き出してあげることです。「質問や指示の方法」を変えるのです。そうじゃないと、ヒトが育ちません。企業でも同じだと思います。
小泉: 白石さんの今後の目標について教えていただけますか。
白石: まずはヨーロッパ1部リーグの監督、そして2020年には「次世代の監督」になることです。「次世代の監督」とは何かというと、AIがはじき出した知見をアシスタントコーチに把握させ、その知見と現場の状況をもとにリアルタイムに判断できる監督のことです。
小泉: 監督は直接、分析の結果を見ないのですか?
白石: そうです。アシスタントコーチにiPadを持たせ、私は「生の試合」を見ます。試合は生きているものですから。2020年以降、5Gが実現すると、試合の状況をAI技術を活用してリアルタイムに分析できると思います。通信スピードがサッカーの試合のスピード感に対応できるかが問題ですが、映像をリアルタイムで解析して10秒後に状況がどう変わるかを予測するアルゴリズムを開発できるなら、かなり使えると思います。
2020年に、そうしたAI技術や5Gなどの最先端のテクノロジーの活用をビジョンにかかげるチームに、私は「次世代の監督」として就任したい。しかも、そのテクノロジーは「メイドインジャパン」のものでやりたいと考えています。
いま私が所属するSBVエクセルシオールではSports Technology Lab(※)という日本の企業と共同でディープラーニングを活用した新しい分析研究も進めています。そういったテクノロジーを武器に戦っていきたいですね。
その次は欧州の1部リーグの監督。そして、ゆくゆくはビッグクラブの監督になり、チャンピオンズリーグで優勝することが目標です。
小泉: 楽しみにしています。貴重なお話をどうもありがとうございました。
(※)株式会社博報堂DYホールディングスと株式会社博報堂DYメディアパートナーズが2018年11月に共同で設立。ディープラーニング技術を有する株式会社Preferred Networksとの共同で、革新的なスポーツアナリティクスソリューションの開発を進めている。
【関連リンク】
・白石尚久 – アミューズ オフィシャル ウェブサイト

