デジタルで、さらに拡張されるカラダ -CESで感じたスマートホームの課題

おおよそ売れる、売れている商品というのはカラダを拡張、メンテナンスするモノが多い。

例えば、「足を使って歩くこと」。

少しでも早く、遠くに行きたいと願った結果、自動車や鉄道、飛行機など様々な乗り物が生まれた。

カラダも長く使っていると傷んでくる。その結果、メンテナンスするようなヘルスケア製品が登場するのだ。

つまり、購入するのが人間である以上、その営みの中で発生する欲望をかなえたり、課題を解決したりするモノが好まれるのは当然といえる。

五感もそうだ。

耳から聞こえる音をよりよく聞きたい、耳から入った音を脳やカラダで感じた時心地よくいたい。そんな欲望をかなえるスピーカーや音楽配信サービスが生まれるのは必然といえる。

しかし、昨今注目される「スマートホーム」には、こういった効果が感じられない。

旨いものをいつでも食べるために開発された冷蔵庫と、気分を良くしたいために開発されたアロマ空気清浄機を接続してみたところで、カラダは喜ばない。

歩数計や心拍数をカウントする腕時計をつけたところで、カラダを直接メンテナンスすることができないから、一時の計測機器の域は超えない。

五感を揺さぶり、カラダを拡張するモノは登場しないのか?

では、どういうことは「まだできていない」と言えるだろうか。

例えば、視覚で言えば、ぼんやり景色を見ていて、気になるものが遠くにあったとき、ズームで映像を見せてくれるメガネはまだ存在しない。さらにコンタクトレンズであればなお便利だろう。

もちろん、高価な一眼レフカメラを取り出して、巨大なレンズをつけてみれば可能だが、そんなものを日常的に持ち運ぶことはしたくない。

こういった、少し現実的にはできないと思われていることも、テクノロジーが進化する中で可能になっていく。

しかし、少し飛躍しているとも思われる。そんなものが出てくればいいが、現実的に来年の売り上げを上げなければならないビジネスマンにとってみれば、そんなテクノロジーの進化なんて待ってられない。

そういう意味で、家電メーカーにとってみれば、IoTはとても好都合な概念だったはずだ。

なぜなら、今作っているモノは大きく変えなくても、相互につなぎあうだけで価値が出るというからだ。

ちょうど、スマートフォンという通信可能な高性能コンピューターも登場して一人一台持っている。「こいつを中心にして、今作っているモノをどんどんネットワーク対応にさせていけばいいんだ」と、目をつぶって走り出す企業が沢山登場した。

しかし、前述したように、そもそもヒトは自分の五感で感じて、カラダを拡張するモノでなければ価値を感じられない生き物なのだ。

論理的に便利といわれても、思考することなく、感じられないことには、「すごい!」とはならない。

現在、Amazon Echoをはじめとした音声応答エンジンが「イマイチ」だという人は多い。しかし、よく不満を聞いていると、「イメージしていたような会話ができない」ことが「イマイチ」であることがわかる。

つまり、ヒトと会話するレベルまで進化した音声応答エンジンは、「イマイチ」ではなくなる可能性が高い。むしろ「すごい」と感じるはずだ。

この不満の根本原因は、音声応答エンジンにとって、聞き取りやすい発音や、間合い、言葉遣いをいちいち考えて話すという「わずらわしさ」だ。ヒトは、思考が少しでも入るとすごいとは感じられないのだ。

しかし、考えてみれば、こういったデジタル技術を活用すれば、五感やカラダがこれまで以上に拡張されることは意外にあるといえる。

例えば、スマートフォンの望遠技術は、デジタル望遠であり、光学望遠ではない。大きなレンズをつけることなく、遠くのものをとらえることができるようになってきている。

ドローンを飛ばせば、遠くにあるものを空から撮影することもできるようになってきている。つまり、自分が移動しなくても自分の分身が遠くに飛んでいって、見たいものを見るということはすでにできているのだ。

ただ、デジタル望遠では遠くのものは鮮明に見れないし、ドローンを飛ばすにはドローン自体を持ち運び、電池を充電しておかなければならない。

少しずつだが、デジタル技術の進化が、我々のカラダを拡張するモノの登場を促進していて、少なからず我々の五感を刺激し始めている。

産業的に見れば、遠くの景色が思い通りに見えるメガネを開発するより、使用場面を限定してドローンを飛ばしたり、音声応答エンジンの会話の精度を向上させるほうが現実的なので、近い将来の売り上げを気にするビジネスマンが考えるべきなのは、「音声応答エンジンがヒトとの会話するレベルまでになったら、何ができなければならないか」だといえる。

しかし、これでも遠い、いつまで待てば良いのだ、という気持ちになるだろう。

実は、もっと現実的な解があるのだ。

この論考は次回に続きます