昨今、AIがセンサーやアクチュエーターを通じて物理世界を認識・判断し、実際に動作する技術である「フィジカルAI」をめぐる発表が相次いでいる。
NVIDIAのジェンスン・フアンCEOは、2026年1月のCESで「フィジカルAIのChatGPTモーメントが来た」と述べており、フィジカルAIがChatGPT登場時のように一気に社会に広まり、実用段階へ移ると示唆している。
実際、フアン氏は7月末にも、自動運転車や倉庫ロボットなどを含む同社の「フィジカルAI」事業がすでに年間約100億ドル規模の収益を生んでおり、今後10年で1000億ドル規模を目指すと明かしている。
国内でもトヨタや富士通、川崎重工、ファナックといった産業大手がフィジカルAI文脈でNVIDIAとの連携を深めているほか、ヒューマノイドロボットの新興企業と大手部品メーカーの提携も相次いでいる。
しかし、フィジカルAIはまだ黎明期にあると言える。
調査会社であるOmdiaやIDCの調べによると、ヒューマノイドロボットは2025年に世界で販売された台数は13,000〜18,000台にとどまり、2026年の市場規模予測も、調査会社によって39.3億ドルから62.4億ドルまで開きがある。
そのため、フィジカルAIの導入や提携を検討する際、「本当に現場で機能しているのか、まだ学習中なのか」を見極める視点を持たなければ、投資や導入の判断を誤るリスクが大きい。
そこで本稿では、対照的な2つのヒューマノイドロボット事例からこの見極め方を示したうえで、フィジカルAI普及のカギを握る現場データについて、そして黎明期にある今、製造業各社が自社のデータ収集・蓄積についてどう備えるべきかを整理する。
なお、フィジカルAIには、AIビジョンを組み込んだ柔軟なロボットアームという選択肢もあるが、この領域については別稿にて深掘りたい。
まずは、同時期に大きな注目を集めながら、実際の成熟度は違う二つの事例を比較することで、その差がどこから生まれるのかを見ていく。
「配備されている」と「働いている」の違い
今回取り上げる事例は、Tesla社が開発する汎用ヒューマノイドロボット「Tesla Optimus」と、米国のロボティクス企業Figure AIが開発する「Figure 02」だ。
両社はともにヒューマノイドロボットという同じカテゴリーに属し、この分野で知名度・報道量の多いプレイヤーでもある。
しかし、実際の成熟度には明確な差がある。
Tesla Optimusは2026年1月、フリーモント工場を年産100万台規模のOptimus生産ラインへ転換すると発表しているが、この量産ラインは現在もまだ設置段階にあり、当初掲げていた2026年7月末〜8月の稼働開始という目標も達成できていない。

また、フリーモント以外の既存拠点ではすでにOptimusが稼働しているものの、TeslaのCEOであるイーロン・マスク氏自身「まだ実用的な作業はできていない」と認めており、その目的は人間の操作・動作を模倣させるためのデータ収集にある。
消費者向け発売は2027年後半が目標として掲げられているが、現時点ではあくまで学習途上の段階だと捉えることができる。
一方、Figure AIの「Figure 02」は、BMWのスパルタンバーグ工場で11ヶ月間のパイロットプログラムを完走した。
週5日のシフトで実際の生産ラインに入り、3万台超のX3車両の生産に貢献し、9万個超の板金部品の搭載作業を支援している。

これは「配備」ではなく、すでに実務の一部を担う「実運用」の段階だ。
同じ「ヒューマノイドロボットが工場で稼働している」という報道でも、片方は人間の動きを学習中の段階、もう片方はすでに量産に組み込まれた実務遂行の段階にあるということだ。
なぜこの差が生まれるのか?
この差の背景には、パイロット設計の巧拙や実行スピード、組織としての意思決定能力など、複数の要因が絡んでいると考えられるが、今回注目したいのが、現場で得られるデータの蓄積量という要因だ。
ロボットの学習に使える現場データは本質的に少なく、集めるのに時間・コスト・リスクがかかる。
そこで、Google DeepMindの「Genie 3」や、NVIDIAの「Cosmos」、Fei-Fei Li率いるWorld Labsの「Marble」といったモデルが登場し、ロボットが実機を動かさずに仮想空間で膨大な物理シナリオを学習できるようにしている。
このアプローチは、理屈の上では実物を壊すリスクなく、大量の失敗パターンを学習することができるが、シミュレーションでは摩擦、空気抵抗、光の変化、センサーのノイズや遅延といった、現実には存在するが理想化されたモデルでは見落とされがちな要素を十分に再現できていない。
この「シミュレーションと現実の差」が、sim-to-realギャップと呼ばれる課題だ。
TeslaとFigure AIの例に戻ると、両社ともシミュレーションと現場データの収集の両方を行なっているが、差を分けるのは、現場データの「量」と「質」だ。
「Figure 02」がBMW工場で11ヶ月間のパイロットを重ねたのは、まさにこのギャップを現場のデータで埋めるプロセスだったと解釈できる。
量産ラインという本物の環境で、実際の生産タスクをこなしながらデータを積み重ねたからこそ、実運用に耐える段階まで進んだ。
対して「Tesla Optimus」も現場でのデータ収集自体は行っているが、イーロン・マスク氏は「工場で実質的に稼働しているわけではなく、ロボットが学習するためのものだ」と述べており、その主目的はロボットの学習にあると捉えられる。
つまり「Optimus」は、量・質ともにまだ現場データ蓄積の途上にある段階と見ることができる。
現場データを巡る異業種提携
現場データ取得を巡る動きは、異業種の企業同士が手を組むという形でも進んでいる。
精密機械部品メーカーである日本精工(以下、NSK)は2026年8月20日、ヒューマノイドロボットのスタートアップであるアトムと、戦略的パートナーシップに関する基本合意書を締結したと発表した。
具体的には、NSKが開発するアクチュエータをアトムのヒューマノイドロボットに搭載して共同検証を行うと同時に、NSKの製造現場を活用して、アトムのロボットによるフィジカルAIデータの共同収集に取り組むという内容だ。
また、異業種提携はヒューマノイドロボットに限らない。三菱電機グループの専門商社であるRYODENは2026年7月8日、IoT・AI技術を活用した産業設備の稼働最適化を手がける中国企業、広東蘑菇物聯科技(以下、Mogulinker)と、フィジカルAIの実用化に向けた戦略的提携契約を締結したと発表した。
この提携は、空気圧縮機、冷却塔、ポンプ、空調システムといった、産業用設備向けのフィジカルAI制御ソリューションを共同開発するという内容だ。
Mogulinkerは2016年設立で、中国国内のエネルギー管理・設備稼働最適化分野で6,000社を超える導入実績を持つ。
RYODENはこの実績データと、自社がFAシステムや熱源・ビルシステム、エネルギーソリューションで培ってきた知見を組み合わせ、工場全体のエネルギー効率・安定稼働の向上を目指すとしている。
この二つの事例に共通するのは、単独でAI技術やロボット開発を遂行するのではなく、現場や顧客基盤を持つ企業とAI技術を持つ企業が手を組むことで、実際の現場での実証・データ収集の機会を広げている点だ。
NSKは製造現場と部品供給を、RYODENは日本・グローバル市場への現場接点を、それぞれAI技術を持つパートナーに提供している。
フィジカルAIの精度を左右するのが現場のデータである以上、こうした現場資源とAI技術を組み合わせる提携が、競争力の源泉になりつつある。
応用領域別に見る、データの取得・蓄積の仕方
ここで注意したいのは、どの用途を見据えるかによって、必要なデータの性質も蓄積の仕方もまったく異なるという点だ。
一つ目は、「Figure 02」や「Optimus」、アトムとNSKのようなヒューマノイドロボットの動作学習だ。ここでは、視覚・力覚・関節角度など複数センサーを同期させた、高頻度で多モーダルな実演データが中心になる。
人間の操作を模倣させるための成功例だけでなく失敗例も含めて記録する必要があり、データ収集そのものに専用の環境を要する。
この領域では、実演データだけに頼らず、前述した「Cosmos」や「Genie 3」といった世界モデルで実機を動かさずに大量の物理シナリオを学習し、データを補う手法も組み合わされている。
ただし、これは実演データの代替ではなく補完であり、現場データの役割は、シミュレーターが物理法則を正しく再現できているかを検証・キャリブレーションすることに移る。
そのため、特定の作業に紐づいた密なデータに加えて、多様な環境条件(照明、素材、気象など)を幅広くカバーするデータの価値も高まる。
もう一つは、RYODENとMogulinkerのような産業設備の稼働最適化・異常検知だ。
こちらは性格が大きく異なり、教師なし異常検知に近い形で、温度・圧力・振動・消費電力といったセンサーの連続稼働ログを長期間蓄積し、正常時のベースラインを把握することが中心になる。
個別の異常事例をわざわざラベル付けして集める必要は薄く、むしろ様々な条件下(季節、負荷変動など)での「通常運転」データの幅広さが精度を左右する。
世界モデルのような先端的なシミュレーション技術が使われる場面は今のところ少なく、現場のセンサーログそのものが主役であり続けている領域だ。
自社がどちらの用途の恩恵を受けたいかによって、今から着手すべきデータ収集の設計は変わってくる。
ヒューマノイドとの協業を見据えるなら実演データの記録環境とシミュレーション活用の両方を、設備の稼働最適化を見据えるなら継続的なセンサーログ基盤を、というように、目的から逆算して蓄積の仕組みを設計する必要がある。
目的から逆算してデータ基盤を設計する
「目的から逆算する」と言っても、具体的に何から手をつければいいのか分かりにくい。応用領域別に、設計時に押さえておきたい点を整理する。
ヒューマノイドロボットとの協業を見据える場合
ヒューマノイドロボットとの協業を見据える場合、記録対象とする作業を選ぶところから始まる。
人手不足が深刻で、かつ定型的だが繊細な動作を伴う工程が候補になりやすい。
対象が決まったら、視覚・力覚・関節角度など複数のセンサーを時刻同期させて記録できる環境を整える必要がある。
成功した作業だけでなく、失敗した場合の映像や数値も残すよう、現場の運用ルールに組み込んでおくことも欠かせない。
あわせて、「Cosmos」や「Genie 3」のような世界モデルによるシミュレーション補完を見据えるなら、特定の作業を深く記録するだけでなく、照明条件、素材、気象条件といった環境のバリエーションを意図的に記録しておく価値もある。
同じ工程でも朝と夕方、晴天と曇天で撮影しておくといった「多様性を優先する」データも、シミュレーターの精度を高める材料になる。
設備の稼働最適化・異常検知を見据える場合
まず、既存のIoTセンサーで温度・圧力・振動・消費電力といった項目をどこまでカバーできているかを棚卸しし、不足があれば追加のセンサー導入を検討する。
この用途では、季節や負荷変動による違いも含めた「通常運転」の幅を捉える必要があるため、短期間で終わらせず、最低でも一年を通じたログを蓄積する計画を組んでおきたい。
あわせて、長期保存に耐えるデータ基盤と、後から検索・活用しやすい命名規則・保管ルールを先に決めておくことが、後工程の手戻りを防ぐ。
まとめ
フィジカルAIはまだ黎明期にあり、市場規模の予測ひとつをとっても調査機関によって大きく数字が異なるほど、業界の輪郭は定まっていない。
こうした段階では、どれだけの現場データが積み上がっているかを見極めることが、投資や導入を判断するうえでの軸になる。
同時に、フィジカルAIの普及のボトルネックが現場データにあるという構造は、製造業にとって見過ごせない意味を持つ。
自社の現場で日々生まれているセンサーデータや稼働データ、作業の記録は、将来的にAI・ロボット企業との提携交渉における資産になりうる。
そのため、自社がどんなデータをどう蓄積しているかを点検しておくことが、この黎明期における最初の一歩と言えそうだ。
なお、本稿ではヒューマノイドロボットと設備の稼働最適化という両極を軸に取り上げたが、冒頭で述べた通り、AIビジョンを組み込んだ柔軟なロボットアームによる自動化という領域もある。
この領域もまだ発展途上であり、自社の現場のどこに組み込めるか、入れ替えるイメージを持っておく必要がある。
この領域における詳しい内容については、次回以降の記事で改めて取り上げたい。
参照元:
- 株式会社RYODEN「広東蘑菇物聯科技有限公司とフィジカルAIの実用化に向けた戦略的提携契約を締結」
- 日本精工「日本精工とアトム、国産ヒューマノイドAIロボット産業の発展に向けた戦略的パートナーシップに関するMOUを締結」
- Technology.org「Humanoid Robots in 2026: What Is Actually Deployed」
- Figure AI「F.02 Contributed to the Production of 30,000 Cars at BMW」
- InsideEVs「Tesla’s ‘Cortex’ Supercomputer Is What Its Robotaxi Hopes Ride On」
- Tesla, Inc.「Tesla Releases Second Quarter 2026 Financial Results」
- Electrek「Musk admits no Optimus robots are doing ‘useful work’ at Tesla — after claiming otherwise」
- Axios「Nvidia CES 2026: Jensen Huang says “ChatGPT moment for physical AI” is coming」
- NVIDIA Newsroom「NVIDIA and Global Robotics Leaders Take Physical AI to the Real World」
- The Motley Fool「Nobody’s Talking About It, But This Business Could Make Nvidia a $10 Trillion Company」
- NVIDIA Blog「NVIDIA and Japan Bring Full-Stack AI and Robotics to Every Industry」
- Rest of World「China is running the EV playbook on humanoid robots — and it’s working」
- Mordor Intelligence「Humanoids Market Size & Share Analysis」
- Fortune Business Insights「Humanoid Robot Market Size, Share, & Growth Report」

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