製造業のデジタルトランスフォーメーションは、現場から経営層まで、さまざまなレイヤーで進んでいる。しかし、現実的には、社会全体でいろんな解決しなければいけない問題があり、それにはかなり具体的な施策が重要になる。
そこで、法政大学デザイン工学部システムデザイン学科教授、IVI理事長の西岡靖之氏に、IVIで進めているいろんな取り組みやお考えについてお話を伺った。
第一回目は、「製造業とカーボンニュートラル」についてだ。
西岡靖之氏は、1985年に早稲田大学理工学部機械工学科を卒業。大学卒業後は、国内のソフトウエアベンチャー企業でSEに従事し、1996年に東京大学大学院・博士課程を修了。東京理科大学理工学部経営工学科助手、法政大学工学部経営工学科専任講師、米国マサチューセッツ工科大学客員研究員などを経て、2007年から法政大学デザイン工学部システムデザイン学科教授。
専門分野は、知能工学、経営情報工学、情報マネジメントシステムの標準モデルの研究。一般社団法人IVI(インダストリアル・バリューチェーン・イニシアティブ)理事長も務める。IVIは、モノづくりとITの融合で可能になる「つながるモノづくり」を「ゆるやかな標準」というコンセプトでの実現を目的に設立された製造業を中心としたフォーラム。
日本の製造業はドイツより遅れているのか
IoTNEWS 小泉耕二(以下、小泉): 西岡先生はドイツで開催される産業見本市「ハノーバーメッセ」でも講演されていましたが、ドイツの製造業について教えてください。
西岡靖之 法政大学教授(以下、西岡): ドイツは設計やデジタルに対して、すごく前向きに取り組んでいます。
ただ、ドイツの製造業にも課題はあります。特に中小企業は困っている部分があり、そういった意味では日本とも地続きにつながっていて、そこからドイツの製造業(インダストリー4.0推進団体)との連携を行っています。
小泉: メディアでは、「日本の製造業は遅れている」という風潮で伝えられることが多いですが、実際にはどうなのですか?
西岡: 製造技術や加工技術などを含めると、全く遅れていないと思います。実際、ハノーバーメッセに中国や東南アジアから来ている人たちは、ドイツ企業などの展示ブースを素通りして、日本の企業を見に来ている人も多くいます。
ITを活用した現場改善は目を引きますが、実際に工場で困っている人は、日本の生産技術や品質管理のソリューションを求めているという感覚はまだまだ強いと感じています。

小泉: スマートファクトリー的な「つながる工場」は、最新な雰囲気で多くの人の目を引きます。日本は現場で動く生産機械やロボットなどに非常に強みがあるので、FA(ファクトリーオートメーション)の世界を実現する展示に注目が集まっているわけですね。
西岡: そうだと思います。ハノーバーメッセは、デジタル化のその先を包括するイベントです。最先端な展示が目を引く一方で、日本には目の前の生産性や品質向上を実現する技術があり、現時点では互角だと思っています。
サプライチェーン全体でのCO2削減は実現できるのか
小泉: それでは一つ目のテーマの「カーボンニュートラル」について伺います。製造業を中心に日本全体がカーボンニュートラルという題目に対して取り組み始めていますが、製造業でカーボンニュートラルについては、どのような動きがありますか。
西岡: カーボンニュートラルは、避けて通れない地球規模の課題です。最近は新型コロナウイルスのパンデミックについて世界中が同じ課題として向き合ってきました。そして、カーボンニュートラルは、それを超えるような大きな問題であるのは確実です。
ただし、タイムスケールはまだ明確ではありません。2050年という、ひとつのメドを打ち出すケースが多いのですが、徐々に課題感がヒートアップしています。EU(欧州連合)も本格的に具体的な施策や標準化、ルール作りなどに着手している状況です。
日本の場合は、明確なルール作りというよりは、掛け声や大手企業に対する暗黙のお願い、または企業イメージとして打ち出すPR的な要素が強いと感じています。
国際基準の「GHGプロトコル(温室効果ガスの排出量を算定・報告する際の国際的な基準)」が設定している算定基準には、「スコープ」という考え方があります。
スコープは1から3に分かれており、「スコープ1」と「スコープ2」は、企業が自社内で実際に使用している燃料や電気から排出されるCO2が算出されます。そのため、部品を調達して加工し、出荷するという工場ではあまり関係がないという雰囲気がありました。
しかし、ここにきて、製造から物流、販売廃棄など、サプライチェーン全体でつながる仕組みの中で、トータルでCO2の総量を減らしていく「スコープ3」の取り組みが注目されています。
また、GHGプロトコル以外にも、原材料調達から廃棄・リサイクルまでの中で排出される温室効果ガスの排出量をCO2に換算して商品やサービスに表示する仕組みの「カーボンフットプリント」や、製品の部品に関連する様々な情報を電子的に示す「デジタルプロダクトパスポート」という取り組みも始まっています。
つまり、製品を取引先から仕入れて販売するという流れの中で、「どのような形でCO2消費量が受け渡されていくのか、このトレーサビリティをしっかりしましょう」という流れが生まれているわけです。

そうなると、大手企業はITに対して予算をかけており、そのデータを活用してCO2消費量への取り組みを実行していくことができると予想できます。しかし、中堅中小企業は、そもそもどこにどのような在庫があり、いつ仕入れたものが、どのように売れたかを把握していません。
そして、今からそれぞれの企業が予算をかけてデータ活用を実現するのは現実的ではありませんし、かといって国がおカネを出すという話でもありません。ですから、今のうちから、「データが後からでもしっかりと追える」または「データの信憑(しんぴょう)性が担保できる」という形の体質に変わっていかないと、極端な話、市場から排除される可能性があると思っています。
基準作りは業界が自主的・自律的に決めることが重要
小泉: 市場から排除されるという例で有名なのが、アップルです。アップルは、部品を調達する際に、自分たちの製品を作っているサプライヤーに対して、どういうCO2排出量があるのかをチェックしています。そして、自分たちのルールに従わなかったり、基準に達しなかったりするサプライヤーとは取り引きをしない。
こうした考え方は、アップルほど強者(きょうしゃ)だからできる事例だと考えていました。ただ、これだけ問題が地球規模に広がってくると、大手のブランドを大事にしている企業は取り組み出すのではと感じています。
西岡: 確実にそうなると思います。ただし、どのように実行していくかが問題です。中堅中小企業の強みは製品や製造、加工技術です。だからこそ、カーボンニュートラルのために本業が阻害されたり、価格競争力がなくなったりすることは、あってはならないと思います。
そのためには、ITによる改善や情報の見える化を体質としてしっかりと身につける必要があります。これは、カーボンニュートラルのためのものではありません。企業の競争力の強化や、アジャイルな経営といった体質に変わるためのものです。いつか必ずやらなければならないのなら、先に実行した企業は競争力強化につながります。だから、カーボンニュートラルをよいチャンスと捉えるのです。
日本企業は、律儀にひとつひとつ記録を取るという性質があります。だから、これまで紙で行っていた部分を、デジタルに置き換えるだけでも大きく変革する可能性があります。「カーボンニュートラルという新しい波に背中を押してもらい、うまく活用する」。これがIVIの提案です。
小泉: ただ、「測る」と一言で言っても、実際にどうやって計測するのか、その再生可能エネルギーの比率や、製品にどれくらい反映されているのかの可視化など、わからないことだらけです。
これまで何にもやってない状態で測ろうとしても難しいですが、デジタルを活用して効率化を図っている現場であれば、例えば、簡易的にセンサを置いたり、電気に後付けで装置を付けたりすれば計測できるといった、手軽な計測ツールが生まれる可能性があると思います。
一方で、カーボンニュートラルの基準は曖昧(あいまい)だと感じています。「カーボンニュートラルに配慮しています」という製品がありますが、誰がそのお墨付きを与えたのかが明確でない。基準作りに対する動きはどのような状況なのですか?
西岡: 基準作りは当然必要ですが、特定の「おかみ」が決める話でもないと思います。それぞれの業界の中で、自主的・自律的な標準を決めていくことが必要です。特定の機関がお手盛りで点数を付けるとなると、値やデータの信憑性がなくなってしまいます。基準があれば、基準の裏をかく人も出てくる。だから、最終的にはやはりデータによる裏付けが必要です。
例えば、品質の不正問題があります。これは、人が介在して、手で補正できる余地を与えるために発生します。少なくともコアな所は機器から直接データを取得し、そこにいろいろな付随データを加えていけば、統計的にエラーのデータを人は作れないので、改ざんすれば分かります。
こうしたアーキテクチャをうまく設計することがまず前提になります。加えて、基準作りは、業界の中で知恵を合わせて行うことが重要です。外部の機関や基準に従うと、大体は生産性が落ちます。内側から自主的なものを海外に発信していく。この方向は絶対必要なのです。

小泉: 基準作りが必要となると、コンサルタントのような外部の人が暗躍し出します。そうではなく、いろいろな製造業の人たちとつながっているIVIのような組織が機会を作りながら、みんなで知恵を絞って基準作りや方向性を決めていく必要があると感じます。IVIで基準作りに対して取り組んでいることはありますか。
西岡: 現状では、まだ標準化や基準作りまでは取り組めていません。まずは、機器からのデータを集めて、そのデータを元に最終的な排出量に換算し、それが取引先にしっかりと開示できるというサイクルを生み出すことが重要だと思っています。このサイクルがひとつ、ふたつと増えていけば流れが生まれます。
ただ問題なのは、そのサイクルを生み出すためにコストがかかるのは困るということです。取引先からの予算に上乗せするのでは、その分製品が高くなります。そこで、IVIで、今ある仕組みをうまく使いながら、あとは知恵と多少汗をかくことで実現させていく実証実験を始めました。ちょうどひとつ目の実証が終わり、今年度に、また新しくそれを拡張しようと取り組んでいます。
あわせて、標準化やアーキテクチャの設計などの活動を広げるために、研究会のような形にするのか、外部とのジョイントに発展させていくのか、どのような形にしていくのかを、現在議論しているところです。
小泉: なるほど。IVIという組織は、ワーキンググループ(WG)というグループをたくさん作っていますよね。そして、WGには様々な日本の製造業の企業が参加し、業種の垣根を越えて、現場で起きていることを実際に工場に行って研究しています。今回のカーボンニュートラルについても、このWGで実際の実験を実施しながら、どのようにしていくかを現場で模索されているわけですね。(第2回に続く)
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