国内では、2020年に5Gの商用サービスを開始しているが、コスト低減や低消費電力デバイスによる新たなサービス、新規周波数の活用やミリ波帯大規模MIMOの実用など、さらなる有効活用が求められている。
現行の5Gミリ波帯通信では、アンテナからのビームパターンを制御する「アナログビームフォーミング」によって空間的な多重化を行い、無線資源の有効活用を図っているため、必要な機能素子を高密度に集積し、低消費電力技術を駆使して、高エネルギー効率のミリ波帯高集積半導体ICを実現することが重要となっている。
また、より大容量な通信のために、より広い周波数帯域をもつ39GHz帯などの利用が期待されているが、より高い周波数帯での低消費電力・高エネルギー効率ミリ波帯高集積半導体ICの実現が課題であった。
そこで、東京工業大学 工学院 電気電子系の岡田健一教授と日本電気株式会社(以下、NEC)は共同で、5Gの次の世代の移動通信システムに向けて、ミリ波帯をより有効に活用できる「フェーズドアレイ(※1)無線機」を開発した。
また、ミリ波帯フェーズドアレイ無線機の低消費電力化のために、今回発表された研究では新たに、高効率小型ドハティ型増幅器(※2)と、素子間ばらつき補正(※3)を適用したデジタル歪補償(DPD)(※4)技術を開発し、高エネルギー効率と高い線形性(※5)を両立するミリ波帯高集積半導体ICを実現した。
今回発表された研究では、従来のマイクロ波帯基地局装置で活用されている、増幅器回路技術と、高効率とトレードオフ関係にある信号品質を改善するDPD技術を、基地局用ミリ波帯フェーズドアレイ無線機に初めて適用した。
2つの増幅器を用いるドハティ型増幅器は、回路面積が大きく小面積のミリ波帯ICに集積するのが困難であったが、今回の研究では、送信と受信を同じ増幅器で行う独自の双方向性ドハティ型増幅器回路を考案し、小型集積を可能にした。
また、フェーズドアレイ無線機にDPDを適用する場合、複数のアンテナ素子経路に対して共通の信号補正を行うため、経路間に特性のばらつきがあると、信号品質の向上が制限されるという課題があった。
そこでICにセルフテスト回路を内蔵し、閾値電圧(※6)のばらつき、利得および位相オフセット(位相の初期値のずれ)のばらつきを検出し、素子間の特性ずれを補正してからDPDを適用することで、信号品質のさらなる向上を実現した。
これらの新しい技術を用いたフェーズドアレイ無線機用ICを、最小配線半ピッチ65ナノメートルのシリコンCMOSプロセスで製作した(トップ画参照)。
このICは39GHz帯で動作し、偏波MIMO(※7)にも対応し、水平偏波用に4系統分、垂直偏波用に4系統分のトランシーバを、5.0 mm×4.5 mmの小面積に集積している。これにより、39GHz帯においても、低消費電力・高エネルギー効率のフェーズドアレイ無線機を実現している。
ICチップ内には双方向性ドハティ型増幅器、セルフテスト回路を内蔵している。集積回路チップは、半導体ICチップのパッケージ技術の一種である「WLCSP(Wafer Level Chip Size Package)技術」によりパッケージングした。
開発した回路は5G基地局に搭載可能で、低消費電力化による低コスト大容量通信、39GHz帯での大規模MIMO、高速での到来方向推定、安定したビームトラッキング等を可能とする技術だ。
このIC16個をアンテナ基板に実装し、64素子フェーズドアレイ無線機としてのOTA(Over-the-Air)性能(実際に空中に電波を飛ばしたときの性能)を評価した。
この評価試験では、無線機の実際の使用状況を想定し、16個あるICの一部の温度を変化させ、意図的に、特性のばらつきを起こした状態でモジュールの特性を測定した。
その結果、提案した内蔵セルフテスト回路を用いたばらつき補正を施すことで、補正なしの従来に比べて信号品質が向上し、線形性と高エネルギー効率を実現できていることが分かった。
また、64素子フェーズドアレイモジュールとして、飽和 EIRP 55.2 dBm、64-QAM変調による21Gb/sの伝送速度などの優れた性能が確認された。
なお研究の成果は、2022年6月13日(現地時間)から米国ハワイ州ホノルルで開催される国際会議「2022 IEEE Symposium on VLSI Technology and Circuits
※1フェーズドアレイ:複数のアンテナをアレイ状に配置し(アレイアンテナ)、各アンテナへ位相差・振幅差をつけた信号を給電する技術。ビームフォーミングの実現に利用される。
※2ドハティ型増幅器:増幅器を2つ並列で構成し、出力電力が低い時は一方の増幅器のみを動作させ、出力電力が高い時は両方の増幅器を動作させることにより、幅広い出力電力レベルで高効率を実現する増幅器。
※3素子間ばらつき補正:本研究で新たに導入した補正技術。チップ内の各素子の特性をあらかじめテスト回路によって測定し、そのばらつきを無くすようにバイアス電圧などの境界条件を変化させ、素子間のばらつきを補正する。
※4デジタル歪補償(DPD)技術:回路の非線形性による所望の特性からのズレを事前に計測し、入力側にあらかじめ逆方向のズレを与えて、結果所望の特性を得られるように補償する技術。
※5線形性:電気回路においては、入力と出力の関係が直線的であること。線形性が高いほど、入力と出力の関係が曲がりなく真っ直ぐである。線形性が悪いと、2つ以上の入力が互いに干渉し、望まない成分が出力に現れることがある。
※6閾値電圧:トランジスタがONになり、電流が流れ出すときのゲート電圧。閾値電圧が異なると、同じゲート電圧を与えたときに流れる電流値が異なり、結果としてトランジスタの特性にばらつきが出る。
※7偏波MIMO:偏波とは、電波が空間を伝わるときに波が振動する方向のことで、振動方向が一定で、電界が地面に対して垂直な偏波を垂直偏波、水平な偏波を水平偏波と呼ぶ。偏波MIMOとはMIMO技術の一種であり、適切なアンテナを用いることで特定の偏波の電波を取り出すことが可能であり、水平偏波と垂直偏波の2つの偏波を用いて複数の通信経路を作り出すMIMO技術を、特に偏波MIMOという。
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