中外製薬は、バイオ医薬品を強みとする研究開発型の製薬企業だ。この程、デジタル技術を活用したビジネス革新へと舵が切られている。
2021年の初頭、R&D(研究開発)のアウトプット倍増や自社グローバル品の毎年上市を目指し、2030年に向けた成長戦略「TOP I 2030」を発表。それに先立ち、前年にはDX戦略「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」を打ち出している。
「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」では、デジタル基盤の強化、すべてのバリューチェーンの効率化やデジタルを活用した革新的新薬の創出といった基本戦略をもとに、社会変革を実現していくとしている。
そこで本稿では、中外製薬にとってのDXの定義や実現したいビジョン、そこへ向けた組織体制や人材育成を中心とした具体的な取り組みについて、中外製薬株式会社 デジタルトランスフォーメーションユニット デジタル戦略推進部長 中西義人氏にお話を伺った。(聞き手: IoTNEWS小泉耕二)
社会価値創造に必要な要素のひとつである「DX」
IoTNEWS 小泉耕二(以下、小泉): 全社的にデジタル活用を推進していくという方針が打ち出されていますが、御社にとっての「DX」とは、どのようなものなのでしょうか。
中外製薬 中西義人氏(以下、中西): DXは中外製薬の経営戦略にとって、中核として位置づけられていますが、最終的な「革新的な新薬の創出」や「新たなヘルスケアソリューションの提供」といった、患者様に新たな価値を提供するというゴールへ向けての、必要なドライバーのひとつだと捉えています。
弊社は新薬を生み出す創薬に強みを持っていますので、その強みをさらに強くしていくために、デジタルが必要な要素だということです。
そしてデジタルによりトランスフォームするのはまずは自分たち自身であり、そのあとに社会を変えていきたいという想いがあります。
具体的には、人財育成や組織の変革、バリューチェーンの効率化、デジタルを活用した革新的な新薬の継続提供といった自社のビジネスの革新により、最適な個別化医療の提供や予防・早期診断といった貢献にまで幅を広げていくことが、中外製薬にとってのDXだと考えています。
小泉: 「新薬を作る」というR&Dや製造だけにデジタルを取り入れるというわけではなく、バリューチェーン全体に取り込むことで、結果的に創薬の革新や、顧客への新たな提供価値を生んでいこうという構想なのですね。
2030年の絵姿へ向け、3つの柱を強化する
小泉: では、具体的にどのように取り組まれているのかについて教えてください。
中西: 最終的な価値創造を行うために、「デジタル基盤の強化」「全てのバリューチェーンの効率化」「デジタルを活用した革新的な新薬の創出」という3つの基本戦略を立てています。
まずはデジタル基盤の強化を行い、この基盤をもとに全てのバリューチェーンを効率化していきます。そして、生まれた経営資源を新薬創出に還元し、創薬を強化していくという体制が基本の戦略です。
デジタル基盤の強化に関しては、人財育成基盤である「CHUGAI DIGITAL ACADEMY(CDA)」や、アイデア創出・実現を促す「Digital Innovation Lab(DIL)」、AWSを活用して築いたデジタル・IT基盤「Chugai Scientific Infrastructure(CSI)」、親会社であるRocheやデジタル・AI企業との連携などを行うことで実現していきます。(下図紫色)
そうしたデジタル基盤をもとに、治験の効率化、生産やマーケティングのデジタル化、RPA等を活用した自動化などを進めることで、バリューチェーンの効率化を促進していきます。(下図黄色)
そして、効率化して生まれた経営資源を、AIを活用した創薬、実臨床で得られた医療データであるリアルワールドデータ(RWD)、デジタルバイオマーカー等のデジタルを活用した革新的な新薬の創出に活用していきます。(下図青色)
直近ではこの3つの基本戦略を循環させ、ノウハウや経験として積み重ねていきます。そして、将来的には「真の個別化医療の提供」を核とする革新的なサービスの提供につなげていきたいと考えています。(上図緑色)
小泉: こうした取り組みは同時進行で進んでいるのでしょうか。それとも段階を踏んで取り組まれていくのでしょうか。
中西: フェーズ1〜3のプロセスを踏んだ「DX実現へのロードマップ」を作成してます。基本戦略は同時進行で進めていますが、各フェーズで重点的に取り組む点を定めています。
フェーズ1は、2019年にデジタル戦略推進部が立ち上がった時期から2021年までで、人や文化を変えるというフェーズです。
2022年からはビジネスを変えるフェーズ2ということで、第1フェーズで作った基盤をもとにバリューチェーンの効率化やデジタルを活用した革新的な新薬創出を本格化していきます。
フェーズ3では、2024年までに構築した基盤やバリューチェーンを活かして、真の個別化医療の実現を目指します。
情報共有と教育によりリテラシーを向上させ、社内の風土を再構築する
小泉: 3つの基本戦略の「デジタル基盤強化」は、人や文化を変えるフェーズということでしたが、具体的な内容について教えてください。
御社の人材は多岐にわたる仕事をされていると思うのですが、DX人材をどのように捉え、体制づくりや教育を行っているのでしょうか。
中西: 人財の獲得や育成に関しては、「リテラシー向上」「ミドルクラス人財育成」「エキスパート人財獲得・育成」という3つの領域に分け、そこに対して教育や各施策を行っています。
リテラシー向上では、全体へ向けた「情報共有」と「教育コンテンツ」という2軸で推進しています。
情報共有に関しては、リテラシー向上に加え、デジタルに関する風土を盛り上げていこうという目的があります。
そのために、各本部でのデジタルの活用について、全社へ向けて情報を共有する「デジタルサミット」を実施しています。
実際にデジタル活用をしてみての成果や失敗点を、サミット形式で全本部に発表してもらい、それを全社員が見られる環境を提供しています。
同じく情報共有の取り組みのひとつである「DigiTube」では、デジタルサミットが社内の成果を共有する場であるのに対し、社外のデジタル企業から技術のプレゼンテーションを行ってもらうという、外部の技術情報の共有を行っています。
以前より、様々なデジタル企業の方々から各部門への引き合いが個別に来ていました。そうした情報を一部の部門で留めておくのはなく、全社へ向けて発信する場をつくっています。
各デジタル企業は自社のソリューションやサービスを全社に向けて発表できるというメリットがあり、弊社にとっては最新のデジタル技術を知ることができるという双方向のメリットがある形での情報共有を行っています。
また、さらに踏み込んだ知識に関しては、データサイエンティスト向けのイベントや、医療ビッグデータに関するイベント、ウェアラブルデバイスを活用した取り組みの共有会など、部門ごとや専門知識ごとといいた、様々な形での情報共有を行っています。
小泉: 情報共有という切り口だけでも様々なイベントを開催されているのですね。こうすることで全社的に盛り上がり、積極的に参加したいという風土が定着するのがイメージできました。
中西: そうですね。また、リテラシー向上のもうひとつの軸である教育コンテンツでは、ワークショップや資格獲得の支援、e-Learningなどを実施しています。
ワークショップでは、デジタルやデータを活用して企画したいというニーズを持っている人向けに、どのようなプロセスで考えることでアイデアを創出できるのかといった、体験型の学習を提供しています。
資格獲得にあたり、日本ディープラーニング教会が実施しているG(ジェネラリスト)検定をはじめとする外部の検定や、教育の受講をサポートするという取り組みです。
また、社内でもe-Learning形式での教育コンテンツを提供するなど、全体の底上げを行っています。
小泉: 「情報共有」と「教育コンテンツ」により、リテラシー向上へ向けた基盤が構築されているのですね。
デジタル人材の育成・獲得の核となる「CHUGAI DIGITAL ACADEMY」
小泉: 次に、「ミドルクラス人財」に対する教育内容を教えてください。
中西: リテラシー向上では、勉強をするきっかけづくりや、基本的な知識や考え方の学習だったのに対し、「ミドルクラス人財」に対する教育は、実際に業務に応用するための取り組みを中心に行っています。
そのために、「CHUGAI DIGITAL ACADEMY」(以下、CDA)という体系的なデジタルの研修プログラムを提供しています。
将来的にはCDAのコンテンツを外部にも提供していこうという構想も立ち上がっています。CDAを通して中外製薬に興味をもってもらい、人財が集まってくるというような、サイクルを構築することがCDAの大きなコンセプトです。
まずは、デジタル研修とデジタルプロジェクトの推進により、社内でのデジタル人財育成強化を行います。(上図青色)
そしてそこでのナレッジが蓄積されたのちに、社外へのコンテンツ提供や外部連携などを促進することにより、エコシステムを形成していく構想です。(上図黄色)
社内のデジタル人財育成に関しては、「データサイエンティスト」と「デジタルプロジェクトリーダー」の2職種を育成するためのコンテンツをまずは作成しようということで、2021年の4月よりCDAを立ち上げています。
小泉: データサイエンティストとデジタルプロジェクトリーダーは、具体的にどのような役割の人材なのでしょうか。
中西: データサイエンティストは、「高度解析・統計型」や「プログラマ・エンジニア型」といった、実際にコードを書いて予測モデルを構築する人財と、ビジネス現場にいる非データサイエンティストとデータサイエンティストの仲介役である「ビジネス型」というタイプに分けています。
一方デジタルプロジェクトリーダーは、プロジェクトマネジメントの力がベースとして必要となり、加えて、社内の課題やプロジェクトに対して、デジタルを活用する企画や管理・推進が行える人財です。
小泉: プロジェクトマネージャーはデジタル社会になる以前より存在した職種だと思うのですが、現在ではその役割は変化しているということでしょうか。
中西: ゴールを設定し、そのゴール達成のために何を実行していくのかを計画するという意味では、根本的には変わっていないと思います。
しかしデジタル技術を活用し、場合によってはデータサイエンティストのような人財を配置しながらプロジェクトを推進する上においては、しっかりとした計画に沿ってプロジェクトを推進していくというよりは、試しながら計画を都度変更していくような、アジャイル型の発想が必要です。
そうしたデジタル活用をしているからこそのプロジェクト推進の方法や、必要なセキュリティや最新のデジタル技術の動向など、ベースのプロジェクトマネジメントにプラスして知識をつけてもらいます。
小泉: 確かに今まで実業務の中でデジタル活用するというと、ワードやエクセルなどといった、ツールを使うという発想でしたが、最近では業務の中にデジタルが入り込んでいるケースも多いですよね。
そうなると、単純にツールの理解や使いこなしをするだけではなく、根本的にデジタルを活用した価値創造を行う必要があると感じます。
中西: おっしゃる通りです。情報共有の仕方やデジタルそのものはあくまでツールですので、そうしたツールを使いこなして、ビジネス課題の解決を行ったり、ビジネスプロセスを変えたりという、「どう変えたいか」というニーズを持っている人がデジタルを活用することに意味があると捉えています。
CDAのコースとしては、データサイエンティストとデジタルプロジェクトリーダー、両職種とも半年〜8ヶ月程度のコンテンツを提供しています。
座学からはじまり、実際の業務でデジタルを使う場合を想定してプロジェクト化し、企画書を書いてもらうようなブートキャンプと呼ばれるコンテンツも提供しています。
そうした座学や研修が終了した後は、OJT(職場内訓練)に取り組んでもらいます。
そしてOJTが円滑に進んでいるかといった内容のモニタリングも行い、学んだ内容を現場で活かして、成果を出せるところまでサポートを行う仕組みを構築しています。
現場課題解決へ向けたPoCに取り組むことができる共創の場
中西: また、OJT強化ということで、ミドル人財を含める全ての社員に対して、3〜4ヶ月程度でPoCの企画・計画から、実際に実施までを行う「Digital Innovation Lab」(以下、DIL)という、社員からの提案を起点としたボトムアップ型の取り組みを実施しています。ピッチコンテスト方式による外部パートナーとの協働により、課題解決を目指します。
DILには全社員誰でも応募することができ、審議の結果、良いアイデアには実際に予算をつけて、必要なパートナーやデジタル技術をマッチングさせながら、起案者がトライアンドエラーを行なっていくというものです。
この取り組みは2020年中頃から始めているのですが、現在PoCに進んでいるアイデアが50件以上、本番展開は10件以上という成果を上げています。
こうしたアイデア出しから企画・立案、PoCを、自分たちで回していくという取り組みは、「ビジネスプロセスの変革」というデジタル活用にとどまらない経験ができると考えています。
小泉: DILに応募されるアイデアは、業務改革といった内容なのか、R&Dに関わる内容なのか、どのような内容が多いのでしょうか。
中西: 社員の誰でも応募できますので、多様なアイデアがあります。おっしゃっていただいたような、大量に捌く必要のある定型メールの効率化といった業務改革から、研究所でのタンパク質の構造解析をVRで行いたいといったR&Dに関わるものなど、幅広く応募されています。
これまでは試験的に行いたいアイデアがあっても、予算の立案からベンダーへのコンタクトなど、実際に取り組むことができるのは発案から1年〜1年半ほどかかっていました。
しかしこのDILという場ができてからは、課題解決に対するデジタル技術が有効であるかどうかというフェーズまでは、比較的すぐ分かるようになった点がメリットだと考えています。
小泉: 内容を問わず誰にでもこうした場が開かれているということは、とても価値のあることだと感じます。社員の意識改革にもつながりそうですね。
取り組みや魅力を社内外に発信し、輪を広げていく
小泉: 最後の「エキスパート人財」の育成や、採用に関して教えてください。
中西: 「エキスパート人財」に関しては、親会社であるRocheや大学と連携し、海外を含めた現場に派遣をして、OJTに取り組んでもらっています。
また、外部の先端技術を有する企業とのコラボレーションにより、デジタル活用の可能性について研究を進めるなど、社内にとどまらない活動を通じて教育を行なっています。
採用強化に関しては、ブランディングに力を入れており、中外製薬がどれだけデジタルに本気で取り組んでいるかということを、社内外に対して積極的に発信をしています。
ヘルスケア業界や製薬業界は、一般的にはデータサイエンティストやIT人財が必要な業界だという認識があまり高くありません。
そこでまずは、中外製薬がデジタルを活用して取り組んでいる活動や、デジタル人財が活躍できる企業だということを知ってもらうことが大切だと考えています。
また、そうした発信を強化することにより、デジタル系の企業の方にも興味を持ってもらい、ソリューションの紹介を行ってもらいたいという目的もあります。
小泉: 確かにヘルスケアや製薬業界というと、ここまで力を入れて体制の強化やデジタル活用を行っているという認識はされていないように感じます。まずは知ってもらうことで、興味を持ってもらうということですね。
採用活動においてブランディング以外に取り組んでいることはありますか。
中西: リファラル採用(社員紹介採用)にも力を入れています。データサイエンティストなどの職種は、独自のコミュニティがあります。
そこで中外製薬に入社していただいた人財に、まずは魅力を知ってもらい、そこから紹介してもらうという制度を構築しています。
小泉: 採用に関しては、デジタル人材だけでなく、全方位に募集をしていると思うのですが、特にデジタル領域においてはデータサイエンティストを求めているのでしょうか。
中西: データサイエンティストに関しては、もちろんコードを実際に書いて、高度解析を行う人財も必要ですが、解析の前段階のデータを加工できるような人財も、データサイエンティストとして捉えて募集を行っています。
また、最近ではITの知識を持ちながら、プロジェクトのマネジメントも行うことができるITスペシャリストや、アプリケーションやインフラの内製が行える人財の採用も強化しています。
パートナー企業とともにプロジェクトを進めるにしても、しっかりと基盤の構築や方向性をリードできるような体制づくりへ向け、社内の教育や採用活動を行っています。
小泉: 本日は貴重なお話をありがとうございました。
中外製薬ではこんな人材を募集中
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企業名
中外製薬株式会社
求める人材像
イノベーションを追求し、患者さんと社会に貢献し続けること。
中外製薬の使命に共感し、志をともにできる人。
募集職種
詳しくは、「詳細情報はこちらから」より、採用ホームページをご覧ください。
応募者の登録フォーム
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