ライオン株式会社は、主に生活者が使用するハミガキや洗剤などの製造・販売を行っている、大手消費財メーカーだ。
そうした中、スマートフォンアプリを活用してお口のフィットネスを行う「ORAL FIT(オーラルフィット)」というサービスを、2022年11月29日より販売を開始した。
これまでモノづくりを中心としていたライオンが、スマートフォンアプリを活用したサービス開発に至った経緯やサービスローンチまでの過程、今後の展望やライオンが描く未来などについて、(写真左から)ライオン株式会社 春田敏伸氏、泉隆之氏、松木秀雄氏、萩森敬一氏にお話を伺った(聞き手:IoTNEWS 小泉耕二)
デジタルとアナログを掛け合わせた体験設計
IoTNEWS 小泉耕二(以下、小泉): まずは、「ORAL FIT」のサービス内容について教えてください。
ライオン 萩森敬一氏(以下、萩森): お口周りの筋力の低下が原因のひとつとして考えられる、「むせる」「話しづらい」「噛みづらい」という衰えに対するサービスで、お口の機能のチェックとトレーニングを基本構成としています。
まず、公式サイトから「ORAL FIT」のアプリケーションをダウンロードして初回プランにお申し込みいただくと、チェックキットが送付されるので、そのチェックキットを活用してお口の状態をチェックします。
その結果と世代別の分布をもとにご自身の状態が可視化され、アプリでオススメのトレーニングコースが提案されるというものです。
コースを選択するとトレーニングメニューが毎日届くようになるので、動画を見ながら一緒にトレーニングを実施していただきます。
トレーニングは1日10分程度で、最初のプランは2ヶ月です。1ヶ月経ったら最初に行ったチェックをもう一度行い、トレーニングの成果を確認していただきます。また、今後のトレーニングではどこに気をつけて行えば良いのかを考えられるような体験も設計しています。
そして2か月経った際に、再度チェックを行い、最終的な成果を見ていきます。さらにトレーニングを続けたい方には、継続することができるプランを用意しています。
小泉: チェックキットにはどのようなものが入っているのでしょうか。
萩森: 3つの項目をチェックするためのキットが入っています。
1つ目が、唾液がどれくらい出るかをチェックするための容器で、5分間唾液を出して量を確認するものです。
2つ目が、噛む力をチェックすることができる、咀嚼チェックガムです。噛むことで色が変わるガムで、色の変化によって噛む力をチェックすることができます。
3つ目が、舌を鍛えるためのトレーニング器具です。これを使って、舌の力をチェックします。舌で器具を押すことで凹ませるもので、3つの硬さを用意しています。
まず、鍛えていない状態でどの硬さの器具まで押せるのかをチェックし、その後トレーニングを進めることで、押せなかった硬さのものが押せるようになったという実感をしていただくために用意しました。
これらのキットは自社開発ではなく、既に市場で提供されているものを組み合わせて「ORAL FIT」に導入させていただいています。
小泉: 実際にチェックすることで、自分のお口の状態をしっかりと把握できそうですね。
萩森: ここの体験設計は大切にしました。アプリだけのチェックだと、出てきた結果に懐疑的になると考えました。そこで実際にチェックキットを活用してご自身で体験していただくことで、動機付けにもなりますし、できるようになった時の達成感を実感してもらうことができます。
また、今回のコアターゲットはシニア層なので、アナログな体験設計は大切にしました。
小泉: 「体験」や「実感」がサービスの中に組み込まれているのですね。
検証と改善を繰り返し、スピーディにプロジェクトを進める
小泉: 一方、シニア層が対象だということは、スマートフォンを活用することに抵抗がある人もいると思うのですが。
萩森: まずはデジタルに抵抗のない方に利用してもらい、実際に利用してもらった感想や意見を反映させながらブラッシュアップしていこうと考えています。
ライオン 泉隆之氏(以下、泉): サービスの開発段階でも、対象の年齢層の方に実際に利用してもらい、その感想を反映させて進めてきました。
事前に行った検証では、特別なレクチャーなどをすることなく、皆さん問題なく「ORAL FIT」を活用されていました。また、実際、スマートフォンを活用して行政手続きを行なっている方もいて、スマートフォンアプリの可能性を感じています。
その他にも、パンデミックをきっかけに外出が減ったり、会話をする機会が減ったりしたという方も多く、トレーニング動画に登場する「リエ先生」というキャラクターに対する良い反響が多くありました。
毎日付き添いながらアドバイスをするという体験設計も、アプリだからこそ実現できたと思っています。
小泉: 体験者の声を反映させながら開発を進めてこられたのですね。アプリの開発にはどれくらいの期間がかかったのでしょうか。
泉: 一番初めの試作品は2週間程度で作り、テストをしてみた結果、改善点を洗い出してまた作り直す、という作業を数回繰り返しました。トータルでは1年半ほどだったのですが、いくつかのフェーズに分けて進めてきました。
これまで弊社ではウォーターフォール型で事業を進めることが多かったのですが、今回のプロジェクトではアジャイル型で取り組んでいます。
プロジェクトのメンバーは研究所のメンバーや、トレーニングのメニューを考えるメンバーなど多岐に渡るのですが、アジャイル型で取り組んだからこそ、それぞれが専門領域を活かしながらスピーディにプロジェクトを進めていくことができたと思っています。
ライオン 春田敏伸氏(以下、春田): 今回のプロジェクトは経営直下で進めているという点もスピーディに取り組むことができた要因だと考えています。今回のプロジェクトにおいても、直接経営に報告はしますが、意思決定を仰ぐという形ではありません。プロジェクトの中で意思決定をしていきながらブラッシュアップし、スピード感のあるローンチが実現できました。
パーパスをもとに、新たなビジネスモデル構築に挑戦する
小泉: アプリ自体も今回のプロジェクトメンバーで開発したのでしょうか。
ライオン 松木秀雄氏(以下、松木): アプリのコーディングという意味ではベンダーに委託していますが、システム開発の進め方や品質保証をするためのテスト、GoogleやAppleへの申請は弊社で担当しています。
また、今回のプロジェクトでは、弊社としては初めてアプリ内で課金を行いました。これまでもアプリは開発していましたが、広告や販促といった意味合いでの無料アプリだけでした。
アプリ内で料金をいただくという初の試みだったため、苦労した面はありました。
小泉: 御社の製品をみても、基本的に店舗流通で、直販のECなどもやられていないですよね。
松木: そうですね。当社は基本的には卸店を通して商品を販売しています。そのため、製品を購入していただく利用者の方と直接関わったり、データを取得したりといったことが少なかったのです。
もちろん定期的なモニタリング調査などは行っていましたが、今回のようにアプリを通して直接利用してもらい、データを取得していくという取り組みはライオンにとって挑戦であり、今後新たな領域に事業を拡大していくために必要なことだとも思っています。
小泉: プロダクトやモノを売るという発想だと、どうしても卸や小売を無視して流通させるのは難しいと思います。しかし、今回の「ORAL FIT」ではサービスを売ってという印象を受け、とてもユニークな発想だと思いました。
チェックキットなどの「モノ」も利用者に届きますが、モノがメインの製品ではなく、体験に重きを置いたサービス設計をされているなと感じます。
なぜこうしたビジネスモデルにされようとしたのでしょうか。
松木: ライオンのパーパスである「より良い習慣づくりで、人々の毎日に貢献する(ReDesign)」という想いを起点にしたときに、必ずしも既存の事業や製品だけでなく、「ORAL FIT」のような体験を届けるサービスも大事な要素の一つだと思っています。
もちろんこれまでの弊社の主な事業は変わらず行っていきますし、製品の流通や売り方を変えようという思いで行っているわけではありません。
弊社がこれまで行ってきた事業を大切にしながらも、新たな軸として「ORAL FIT」のようなサービスも展開していきたいという想いがあります。
お口のフィットネスの重要性と楽しさを訴求していく
小泉: 「ORAL FIT」を広げるために行っている取り組みについて教えてください。
萩森: 「ORAL FIT」自体がスマートフォンアプリですので、リスティング広告やYouTubeでの紹介動画など、デジタルの広告コミュニケーションは行っています。
また、今後はオフラインの施策も積極的に行っていく予定です。例えば調剤薬局にリーフレットを置いてもらい薬剤師の方に手渡してもらったり、各種セミナーにてご紹介したりなどの活動も、現在計画しているところです。
小泉: シニア層がターゲットということでしたが、具体的にはどのような方々をイメージしているのでしょうか。
春田: 年齢に伴う口腔機能の衰えによる、むせや飲み込みの悪さ、滑舌が悪くなるといったことや口が乾くなど、いわゆる「オーラルフレイル」が出始めた方々を対象としています。
オーラルフレイルが進行すると、口腔機能低下症という病気になってしまいます。年齢としては、50代〜60代の方々からオーラルフレイルになる可能性が高くなります。
小泉: 「ORAL FIT」は毎日2ヶ月行うという、「本格的なトレーニング」という印象だったのですが、オーラルフレイルの予防という意味合いでは適切な内容なのだと納得がいきました。
ちなみに病院ではオーラルフレイルに対する対処は行われていないのでしょうか。
春田: お口の悩みと言うと、歯科医を想像されると思うのですが、歯科医はどちらかといえば、虫歯や歯周病といった「お口の衛生状態」を専門にしていることが多いようです。
ですので、オーラルフレイルの症状である「むせ」や「飲み込み」などに対しては専門外であることも多く、簡単なアドバイスにとどまるケースもあるようです。
そこで、しっかりと気になるお口の衰えの改善が期待できるまで続けてトレーニングができるよう、今回の「ORAL FIT」が生まれました。毎日楽しみながら続けてほしいという想いから、「お口のフィットネス」というフレーズを訴求しています。
小泉: 健康な状態と病気の間である「オーラルフレイル」の方々に向けているということですね。
春田: そうですね。一方、オーラルフレイルという言葉自体が、情報発信されているにも関わらず、あまり浸透していないという実情もあります。お口の衰えと言うと、介護が必要なご高齢の方を想像する人もいると思うのですが、気になりかけ始めた50代60代から始めることが重要なのです。
そこで、気軽に日常の習慣にしてもらえるよう、「お口のフィットネス」という切り口をさらに広げていき、当社が提案しているPositive Habitsの一つにしていきたいと考えています。
小泉: 「お口のフィットネス」という切り口だと、年齢を問わずアプローチできそうですね。最近は在宅勤務も多く、マスクを装着している時間も長いと顔の筋肉が衰えてきていると感じます。
春田: そうですね。将来的には入社面接を控えている学生や、プレゼンテーションを控えているビジネスマン向けなど、様々な世代に訴求していく可能性はあると考えています。
しかしまずは、お口に課題感を感じてくる50代60代の方々をターゲットに普及させていこうと思っています。
「ORAL FIT」から見えてくるライオンが描く未来
小泉: それでは最後に、将来の展望について、それぞれのお立場からメッセージをお願いします。
泉: 今回のプロジェクトを通して、「食べる」「しゃべる」といった、人として大切なことを、加齢のせいで諦める必要はないということをもっと広くお伝えしたいです。
「ORAL FIT」を活用してしっかりとトレーニングを行えば、食べたり話したりといったことは、これまで通り行える人が多くなると思います。
そして、「ORAL FIT」を活用することで、口腔機能向上に貢献できたというエビデンスが蓄積されれば、より多くの方々に価値を提供できるものへと発展させていける可能性があると考えています。
松木: 「ORAL FIT」は、習慣をより良くしていくための新たなサービスたちの「始まり」という位置づけです。
もちろん「ORAL FIT」自体の成功も大切ですが、「ORAL FIT」で得た知見を横に広げていくことが私のミッションだと思っています。
データ活用に関しても、「ORAL FITのユーザ」ではなく、「ライオンのお客様」としてデータを活用しようとしています。
例えば、「ORAL FIT」をお使いのお客様が、今後提供されるライオンのサービスを利用する際には、2つのサービスを掛け合わせることにより、お客様をより理解することができる仕組みを構築するといったことです。
これまで弊社は卸や店舗に商品を販売してきた会社ですが、今後は1人1人のお客様を理解したサービスの提供も行っていきたいと思います。
そのために、「ORAL FIT」を成功させ、第2第3のサービスを提供し、それを繋げていきたいです。
「ORAL FIT」はオーラルフレイルの方々を対象としたサービスですが、今後は様々な年代に対して多様なサービスを提供するような企業として発展していきたいと考えています。
萩森: 昨今では人生100年時代となり、いかに長く健康でいられるかが重要であるとともに、ひとつの社会課題となっています。そこで、「ORAL FIT」を起点として社会課題解決に取り組むことで、自治体や歯科医師会など、様々なステークホルダの方々と協力する体制を整えていきたいと思います。
また、「ORAL FIT」という新規事業を、スピード感を持って取り組むことで、ライオンという企業の文化や組織体制の在り方、新規事業の在り方にまで良い影響を与えられる成功事例にしていきたいです。
春田: 将来的には、「ORAL FIT」を活用したお口のフィットネスを、生活者の文化にしていきたいと考えています。
ランニングやウォーキングは今では世の中に広がっている良い習慣ですが、数十年前は現在ほど浸透しているものではありませんでした。お口のフィットネスも、ランニングやウォーキングのように、幅広い年齢の方々が、毎日の楽しみや生きがいとして取り組んでいく未来を描いています。
弊社の創業者が歯磨き習慣を根付かせていったように、「ORAL FIT」を良い習慣として根付かせていきたいと思っています。
また、既存事業であるモノづくりにも、「ORAL FIT」を通じたデータを活用し、相乗効果を持たせていくことができる事業にしていきます。
小泉: 本日は貴重なお話をありがとうございました。
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